右京兆代(読み)うきょうちょうだい

世界大百科事典(旧版)内の右京兆代の言及

【管領代】より

…史料的には1546年(天文15)足利義輝が近江坂本で将軍に就位したとき,近江守護六角定頼がこの職に補任されたのが唯一の例。なお応仁の乱後,細川氏が事実上幕府を壟断するようになって,同氏の内衆が幕府奉行人と並んで重要政務に奉書を発給するようになるが,これら細川氏奉行人は幕府から〈右京兆代〉(京兆は細川氏の極官である右京大夫の官途を指す)と呼ばれたため,細川氏奉行人を管領代,その発給文書を〈管領代奉書〉と呼ぶ研究者もある。管領【今谷 明】。…

※「右京兆代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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