吉井淳二(読み)よしいじゅんじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉井淳二」の意味・わかりやすい解説

吉井淳二
よしいじゅんじ
(1904―2004)

洋画家鹿児島県生まれ。1922年(大正11)に上京し川端(かわばた)画学校で同郷の海老原喜之助(えびはらきのすけ)とともに学ぶ。26年に光風会と二科会とに初入選。29年(昭和4)東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業し、のち渡仏し32年に帰国。40年二科会会員。44年二科展内閣総理大臣賞、65年日本芸術院賞受賞。76年日本芸術院会員となる。77年勲三等瑞宝(ずいほう)章受章。79年二科会理事長となった(~1998)。85年には、写実をもとにして庶民群像を描いた独自の境地具象画などにより、文化功労者となった。89年(平成1)文化勲章を受章。鹿児島県さつま市加世田に吉井淳二美術館がある(1992年開館)。

[小倉忠夫・柳沢秀行]

『南日本新聞社編・刊『吉井淳二画帖の栞』(1998)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉井淳二」の意味・わかりやすい解説

吉井淳二
よしいじゅんじ

[生]1904.3.6. 鹿児島,末吉
[没]2004.11.23. 鹿児島,鹿児島
洋画家。 1929年東京美術学校西洋画科卒業。郷土の先輩和田英作に師事する。 1926年二科展に初入選。 1929~32年フランスに留学。 1940年二科会会員,1979年二科会理事長。 1952年『水辺』『桃』で二科会員努力賞。 1965年『「水汲」ならびに近作』で日本芸術院賞。 1969年『浜辺井戸』で二科展内閣総理大臣賞。働く人々の姿を清純な色彩詩情で写実的に描き,具象画の一方向を示した。 1976年日本芸術院会員。 1985年文化功労者。 1989年文化勲章を受章。 1988年夫人の故郷である鹿児島県加世田市に特別養護老人ホームを開園,理事長を務め,社会福祉にも尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉井淳二」の解説

吉井淳二 よしい-じゅんじ

1904-2004 昭和-平成時代の洋画家。
明治37年3月6日生まれ。昭和元年「花と女」で二科展初入選,15年二科会会員となる。40年「水汲」などで芸術院賞。44年「浜辺の井戸」で二科展内閣総理大臣賞。51年芸術院会員。54年-平成10年二科会理事長。平成元年文化勲章。写実的な画風で,働く庶民の群像をえがいた作品で知られる。特別養護老人ホームを開園するなど社会福祉にもつくした。平成16年11月23日死去。100歳。鹿児島県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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