朝日日本歴史人物事典 「吉住小三郎(2代)」の解説
吉住小三郎(2代)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の長唄唄方。3代目芳村伊三郎の門人で,初名芳村五郎治。その後,一時坂田と改姓,再び芳村にもどった。吉住小八を名乗ったのち,3代目芳村伊十郎を継いだが,芳村一門から苦情が出たため名跡を返して,花垣五郎三郎を名乗った。弘化3(1846)年,10代目杵屋六左衛門から2代目吉住小三郎の名跡を譲られた。もと江戸四谷で芋屋を営んでいたので「芋五郎の小三郎」と呼ばれた。非常な美声家で,3代目岡安喜三郎,2代目富士田音蔵と共に天保の三名人に数えられている。4代目杵屋弥十郎の三味線でメリヤス「五大力」を唄い終わり,「いい心持ちだ」といいおえて急逝したと伝えられている。<参考文献>吉住慈恭『芸の心』
(植田隆之助)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報