吉備津神社(読み)きびつじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「吉備津神社」の意味・読み・例文・類語

きびつ‐じんじゃ【吉備津神社】

[一] 岡山市吉備津にある神社。旧官幣中社。祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)とその一族。古代、吉備地方を支配した吉備氏の氏神で開拓神として信仰された。本殿、拝殿は応永三二年(一四二五)足利義満の再建で国宝に指定され、吉備津造として知られる。また境内の御釜殿は上田秋成の「雨月物語」の釜鳴神事で有名。吉備津の御釜祓い(釜鳴の神事)が行なわれる。吉備国総鎮守。備中国一の宮。吉備津宮
[二] 広島県福山市にある神社。旧国幣小社。祭神は大吉備津彦命、孝霊天皇ほか。大同元年(八〇六)備中国の吉備津神社を勧請(かんじょう)。備後国一の宮。吉備津宮。一宮(いっきゅう)さん。

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デジタル大辞泉 「吉備津神社」の意味・読み・例文・類語

きびつ‐じんじゃ【吉備津神社】

岡山市吉備津にある神社。主祭神は大吉備津彦命おおきびつひこのみことで、一族の千千速比売命ちちはやひめのみことなど八神を配祀。吉備開拓の祖神。社殿は国宝。鳴釜なるかま神事は有名。吉備津宮。備中国一の宮
広島県福山市にある神社。祭神は大吉備津彦命。備後国一の宮。

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日本歴史地名大系 「吉備津神社」の解説

吉備津神社
きびつじんじや

[現在地名]岡山市吉備津

吉備の中山の西麓にある。吉備国の総鎮守。備中国の一宮。祭神は大吉備津彦命(「日本書紀」では吉備津彦命)を主神とし、異母弟の若日子建吉備津日子命とその子の吉備武彦命ら一族の神々を合祀する。「日本書紀」崇神天皇一〇年九月九日条によると、吉備津彦命(五十狭芹彦命)は四道将軍の一人として西道にしのみち(のち山陽道)に派遣され、この地方を平定したという。ただし、「古事記」には崇神天皇段に四道将軍が派遣された記事はなく、孝霊天皇の皇子比古伊佐勢理比古命(大吉備津日子命)と、若日子建吉備津日子命の「二柱相副ひて、針間の氷河の前に、忌瓮を居ゑて、針間を道の口と為て、吉備国を言向け和したまひき」と記し、続いてこの二人の神の子孫が吉備上道臣、吉備下道臣などの吉備の諸豪族の祖となることを記している。この吉備に繁栄した古代豪族吉備氏の氏神として、当社の歴史が始まったと考えられている。

社殿の創建時期は不明。社伝によると、大吉備津彦命の五代の孫加夜臣奈留美命が吉備の中山の麓に大吉備津彦命が建立した「茅葺宮かやぶきのみや」という斎殿の跡に社殿を営み、祖神の大吉備津彦命を祀り、相殿に八柱の神を祀ったのが当社正宮(本殿)の起源という。備前国一宮の吉備津彦神社と備後国一宮の吉備津神社(現広島県芦品郡新市町)は、ともに当社の分社であるといわれている。承和一四年(八四七)従四位下の神階を授けられ、以後、翌年従四位上(続日本後紀)、仁寿二年(八五二)に四品に進み、このとき官社に列して封戸二〇戸を賜り、さらに天安元年(八五七)三品を授けられた(文徳実録)。貞観元年(八五九)に二品にすすみ(三代実録)、延喜式の制定にあたっては名神大社に列し、承平・天慶の乱の鎮定にあたっての神威の功によって天慶三年(九四〇)一品に進められている。康平四年(一〇六一)一一月二五日の焼亡が知られる(百錬抄)。そののち、吉備津宮、一品吉備津宮、吉備津大明神、備中国一宮大明神などとよばれて明治維新に至っている。明治四年(一八七一)国幣中社に列し、吉備津神社と公称することとなり、大正三年(一九一四)官幣中社に昇格している。(以下の記述で社蔵史料は所蔵を省略する)

〔社殿〕

おもな社殿のほとんどは、数百メートルに及ぶ大回廊で連絡されているが、中心は主神を祀る正宮(本殿・本社ともいう)である。現在の社殿は檜皮葺一二一坪、平面積では日本第一の広さをもつ。

吉備津神社
きびつじんじや

[現在地名]新市町宮内 上市

神谷かや川下流域平地部の中央にあり、社殿は山を背に東向きに建並ぶ。本殿は宮内みやうちの集落が一望にできる高さにある。神池みいけ(御池)と鳥居(慶安元年建立)の間は現在県道が通り町並があるが、慶安元年(一六四八)以前のものとされる備後国宮内吉備津宮古絵図写(旧版「広島県史」所収)によると、御池と門(現在の鳥居の付近か)との間の町筋には社家・大工・塗師など神社に関係する人々が住んでいる。鳥居から本殿まで一直線上に四段にわたって、随身門二門、楽所・神楽殿・拝殿が並ぶが、境内に二つの随身門をもつ神社は他に例がないという。神楽殿から本殿に至る北側の石垣は江戸時代初期のもの。そこに並ぶ江戸時代奉納の常夜灯・石灯籠・玉垣などの寄進者名には備後を中心として瀬戸内海・四国・近畿地方などの名前もみえ、その信仰圏の広さがうかがわれる。なお当社南側には桜山さくらやま城跡・亀寿山かめじゆさん城跡、さらに芦田あしだ川を隔てて相方さがた城跡が連なり、西北には鳶尾とびのお城跡、東側には御池があり、自然の要害ともなっている。また当地は桜山慈俊挙兵伝説地として国指定史跡。

当社は備後国一宮で、近世までは吉備津彦大明神・一宮大明神・吉備津宮・吉備津彦神社などと称した(備陽六郡志、福山志料)。明治以後吉備津神社と公称。地元では「いっきゅう(一宮)さん」とよぶ。現祭神は孝霊天皇・大吉備津彦命・細比売命・稚武吉備津彦命。「備陽六郡志」は「祭る所の御神 孝霊天皇、吉備津彦命なり、尤吉備津彦の命の御衣を以て御神躰とす、本社の左右に礎有、往古は北、孝霊天皇、南、吉備津彦命と両社なりけるか、慶安元子年、宗休公一社に御建立有、内陣に艮巽の四神、各束帯にて安之」と記す。旧国幣小社。神願寺として神宮じんぐう寺があり、別当寺は中興ちゆうこう寺・神宮寺であった。

〔草創〕

福山志料」は「今按ニハシメ吉備ノ中山ニノミ鎮座アリシヲ三国ニ分レシ時各国ニワカチ祭リシ由伝レトモ、延喜式ニ備中ノミ見エテ前後二国ハノセス、国中最大の社ニテ其数ニ洩レシヲ見レハ延喜以後ニワカレ玉ヒシナルヘシ」としている。また同書は「国花万葉志ニ備後吉備津宮府中ニ立、備中吉備津宮御同体ト云、今按ニ、ハシメ芦田郡ニアリ、後コ々ニウツスト云」と鎮座地の移動をいい、かつての所在地を芦田郡土生はぶ用土ようど(現府中市)とする。

確実な史料に備後吉備津宮が登場するのは平安後期で、永万元年(一一六五)六月日付の神祇官年貢進納諸社注文写(宮内庁書陵部蔵永万文書)に、

<資料は省略されています>

とみえる。

吉備津神社
きびつじんじや

[現在地名]東城町久代 河内宮原

久代くしろの一宮で産土社。祭神は大吉備津彦命、相殿に弥都波能売神・金山彦命・大山祇命・須佐之男命を祀る。旧村社。古く品治ほんじ宮内みやうち(現芦品郡新市町)の備後一宮吉備津神社の分霊を勧請したと伝える。

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改訂新版 世界大百科事典 「吉備津神社」の意味・わかりやすい解説

吉備津神社 (きびつじんじゃ)

岡山市北区吉備津,歌枕で名高い吉備の中山のふもとに鎮座する。備中国の一宮,また吉備国の総鎮守ともいう。備前一宮の吉備津彦神社と備後一宮の吉備津神社は,ともに当社からの分社と伝える。崇神天皇のときの四道将軍の一人として吉備に派遣されたという大吉備津彦命とその一族をまつり,古代吉備氏の氏神として栄えた。平安時代には官社に列し,一品(いつぽん)の神階を授かり,朝廷の保護と崇敬を受け,中世には武神として備作地方の武士の崇信をひろく集めた。近世の社領は朱印高160石,近代には官幣中社に列した。

 現国宝の本殿と拝殿は1425年(応永32)に完成した。その独特の建築様式から吉備津造と呼ばれ,中世神社建築の代表作である。本殿の内部は四周に幅1間の外陣,奥に中陣・内陣・内々陣と続き,中心に進むにつれて床も天井も高くなる。本殿は建坪255m2の大建築で,その檜皮(ひわだ)ぶきの大屋根は入母屋破風を二つ前後に連結するという,他にまったく例を見ないいわゆる比翼の入母屋造となっており,吉備津造の特色とされている。境内は広く,おもな社殿は全長数百mに及ぶ壮大な回廊で連絡され,美しい景趣を醸し出している。

 回廊の中ほどにある御釜殿は1612年(慶長17)の再建。古代豪族屋敷の台所の様式をよく残しているとされる。内部は南北2室,南室は祈禱者の座,北室には2口一連の竈(かまど)を築き,その前が神官の座。竈の下には大吉備津彦命が退治した鬼の首が埋めてあると伝える。ここでは阿曾女(あそめ)と呼ばれる老女が祝詞に合わせて釜をたき,釜の鳴動によって吉凶を占う神事が現在も依頼に応じて随時行われている。これがいわゆる吉備津宮の釜鳴神事で,平安時代からこの霊験が都にも喧伝された。また釜鳴の怪異伝説は謡曲《吉備津宮》や上田秋成《雨月物語》などの素材にもなっている。

 当社と桃太郎伝説との結びつきも古い。いま岡山の名菓である吉備団子は,江戸初期に〈餅雪や日本一の吉備だんご〉とよまれて,当時すでに門前の名物となっていた。大吉備津彦命の鬼退治の神話が,室町期に成立したといわれる桃太郎伝説と結びついて,このころ庶民の信仰を集めていたことがわかる。

 門前町の宮内(みやうち)は,現在はその面影はないが,江戸時代には山陽道屈指の遊所として栄えた。《好色一代男》(巻二,はにふの寝道具)にもその名がみえ,また宮内の遊女の恋物語が浮世草子《分里艶行脚(わけざとやさあんぎや)》中の一編〈備中に吉備津手管(てくだ)の小忌衣(おみごろも)〉に見える。宮内では江戸や上方の歌舞伎,能,人形芝居,相撲,軽業などが江戸時代を通じてたびたび興行された。

 当社には古代から賀陽(かや),藤井,堀家,河本など多くの社家があり,近世には70余軒に及んだ。日本に臨済禅を伝えた栄西は賀陽一族の出身,また国学者の藤井高尚も社家頭をつとめた。伝蔵の古文書は鎌倉時代から数千点を数える。現在,5月と10月の第2日曜日に大祭が行われる。秋の大祭には〈七十五膳すえ〉という,75個の神膳を捧げる珍しい神事があってにぎわう。
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百科事典マイペディア 「吉備津神社」の意味・わかりやすい解説

吉備津神社【きびつじんじゃ】

岡山市吉備津に鎮座。旧官幣中社。吉備地方開拓の祖と伝える大吉備津彦命をまつる。延喜式内の名神大社とされ,備中(びっちゅう)国の一宮。例祭のほかに七十五膳据神事,釜の鳴動で吉凶を占う釜鳴神事などがある。殖産・長寿の神としての崇敬が厚い。現在の本殿・拝殿は1390年―1425年に再建されたもので,吉備津造または比翼入母屋造と呼ばれる。これら国宝のほか,随身門,梵鐘などの重要文化財がある。
→関連項目吉備津神社吉備津彦神社

吉備津神社【きびつじんじゃ】

広島県福山市新市町宮内に鎮座。旧国幣小社。大吉備津彦命をまつる。806年岡山の吉備津神社から分祀したと伝える。備後(びんご)国の一宮で,〈いっきゅうさん〉とよばれる。例祭のほか,節分祭には放談会がある。本殿は重要文化財。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「吉備津神社」の解説

吉備津神社
きびつじんじゃ

一品(いっぽん)吉備津宮とも。「延喜式」では吉備津彦神社。岡山市北区吉備津に鎮座。式内社・吉備国総鎮守・備中国一宮。旧官幣中社。祭神は孝霊天皇の皇子大吉備津彦命。852年(仁寿2)官社に列し四品が授けられ,940年(天慶3)には一品。中世,神祇官を本所に仁和寺を領家とし,室町時代には備中守護を社務職に守護代を社務代職に補任して社領は守護請になった。近世,160石の朱印地のみに削減されたが,これをめぐる社家・社僧間の相論で敗訴した社僧は当社から撤退した。例祭は5月と10月の第2日曜日。本殿・拝殿は国宝,南北随身門は重文。温羅(うら)退治神話にかかわる鳴釜神事が知られる。

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デジタル大辞泉プラス 「吉備津神社」の解説

吉備津神社〔広島県〕

広島県福山市にある神社。806年、岡山県の吉備津神社から分祀して創建と伝わる。祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)、オオヤマトネコヒコフトニノミコト、細比売命(くわしひめのみこと)、稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと)。1648年建造の本殿は国の重要文化財に指定。備後一之宮。地元では親しみをこめて「一宮(いっきゅう)さん」とも呼ばれる。

吉備津神社〔岡山県〕

岡山県岡山市にある神社。延喜式内社。大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を主祭神に、若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)、吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)など一族の神8柱を配祀。備中国一之宮。1425年に再建された本殿と拝殿は国宝に指定。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉備津神社」の意味・わかりやすい解説

吉備津神社
きびつじんじゃ

岡山市吉備津に鎮座する元官幣中社。吉備津宮ともいう。オオキビツヒコノミコトを祀り,チヂレヒメノミコトら8神を配祀。応永 32 (1425) 年,足利義満建立と伝えられる本殿 (国宝) は,吉備津造として名高い。例祭5,10月の第2日曜日。

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事典 日本の地域遺産 「吉備津神社」の解説

吉備津神社

(岡山県岡山市北区吉備津931)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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世界大百科事典(旧版)内の吉備津神社の言及

【備中国】より

…また国府の北方の山塊に営まれた巨大な朝鮮式山城である鬼ノ城(きのじよう)(総社市奥坂)は,おそらく白村江の敗戦後に造営された山城の一つであろう。式内社としてはとくに吉備津神社が有名である。【吉田 晶】
【中世】
 平氏が瀬戸内海の海賊的土豪を勢力下に収めて台頭したころ,備中の土豪の多くが平氏の忠実な家人となったのは備前と同様で,とくに《平家物語》にみえる瀬尾兼康(せのおかねやす)は,備中国都宇郡妹尾郷(現,岡山市妹尾)を本拠とした武士で,備前の難波二郎経遠・三郎経房兄弟らとともに平氏の有力な家人であった。…

※「吉備津神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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