吉岡町(読み)よしおかまち

日本歴史地名大系 「吉岡町」の解説

吉岡町
よしおかまち

[現在地名]大和町吉岡

東西に細長い台地上に築かれた城下町兼宿場町。町屋敷は東から西北に通る奥州街道沿いに並び、その南と北の端に足軽屋敷を配する。街道南より北西へ各々鉤状に志田しだ町・上町かみまち・西町・中町・下町とつづき、下町裏に雑穀御蔵場がある。文政六年(一八二三)の吉岡城下図(「大和町史」所収)によると、町屋敷から吉岡城へは前小路まえこうじ六軒ろつけん町・四軒丁・八軒町なが丁などの家中屋敷を経て至る。いずれも道は丁字状に直交して枡形をなすので、街道から城を見ることはない。寛永一八年(一六四一)の吉岡城下町割図断片(教楽寺蔵)によると、町屋敷は上・中・下に町割され、屋敷は間口一〇間、奥行三四間で画される。「安永風土記」では吉岡町五町とあり、各々の町の長さは、南から北へ新田しんでん町二町半、志田町三町半、上町四町半、中町三町半、下町三町半。町並の外側に配置された天皇てんのう寺・九品くほん寺・龍泉りゆうせん院・八王はちおう寺・阿弥陀あみだ院・八幡神社別当安楽あんらく院や修験龍善りゆうぜん院・南蔵なんぞう(以上下草から)および志戸田しとだ(現富谷町)からの中興ちゆうこう寺が、元和元年(一六一五)から同二年にかけて当地へ移住しているので、城主伊達宗清のときに町の基礎が築かれたものと思われる。

町裏まちうらの郡鎮守八幡神社を中心に五・九の互市たがいちが設けられていた。

吉岡町
よしおかまち

1991年4月1日:北群馬郡吉岡村が町制施行
【吉岡村】群馬県:北群馬郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉岡町」の意味・わかりやすい解説

吉岡〔町〕
よしおか

群馬県中部,榛名山南東麓,利根川西岸にある町。 1955年明治村と駒寄村が合体して吉岡村となり,91年町制。西岸の台地は群馬用水の完成により,畑地灌漑が行われ,かつては米作養蚕,近年は果樹トマトなど野菜の生産性が高まった。なお,こけしの特産もある。面積 20.46km2。人口 2万1792(2020)。

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