吉川温恭(読み)よしかわ・よしずみ

朝日日本歴史人物事典 「吉川温恭」の解説

吉川温恭

没年弘化3.8.7(1846.9.27)
生年:明和4(1767)
江戸後期の茶業改良家。宮大工としても活躍。通称は忠八。武蔵国入間郡二本木村西久保(入間市)の生まれ。家伝によると,享和2(1802)年に近郷村野盛政と共に室町時代の記録にみえる「武蔵河越茶」の復興を志して製茶法を改良,文化9(1812)年にはじめて江戸へ販売したという。文政2(1819)年の江戸の茶商山本嘉兵衛らとの約定書では,村野家の製品とともに「狭山土産之宇治製茶」と品質を評価され,横浜開港以後の狭山茶発展の基礎をつくった。狭山茶の来歴については,出雲祝神社(入間市)に残る山本嘉兵衛をはじめ地元の茶業者38名による天保3(1832)年銘の「重闢茶場碑」などがある。<参考文献>埼玉県茶業協会『狭山茶業史』

(重田正夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉川温恭」の解説

吉川温恭 よしかわ-よしずみ

1767-1846 江戸時代後期の製茶家。
明和4年生まれ。武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)の人。近郷の村野盛政と協力して製茶法を研究・改良。江戸の茶商山本嘉兵衛(かへえ)らと特約し,たかい評価をえる。近隣に茶栽培をすすめ,狭山(さやま)茶発展の基礎をきずいた。宮大工もいとなむ。弘化(こうか)3年8月7日死去。80歳。通称は忠八。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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