朝日日本歴史人物事典 「吉川類次」の解説
吉川類次
生年:安政5.10.7(1858.11.12)
明治大正期の篤農家。土佐国(高知県)長岡郡稲生村衣笠(南国市)の吉川繁蔵と松の次男。研究心が強く努力して耕地を拡張し,石灰業にも従事,社会活動も行った。明治19(1886)年父と兄をコレラで失い無一物となったが再起した。長岡郡十市村の鍋島菊太郎の育成した品種「出雲早稲」の中から特別生育の早い種「京早稲」を得て育成研究の結果,32年新品種「衣笠早稲」(明治44年命名)を完成。同年7月22日この新品種による新米を高知市場に出荷し人々を驚かせた。これより土佐の水稲二期作は軌道に乗った。<参考文献>橋詰延寿『吉川類次翁』,『南国市史』下
(山本大)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報