吉敷郡(読み)よしきぐん

日本歴史地名大系 「吉敷郡」の解説

吉敷郡
よしきぐん

面積:七九・一六平方キロ
小郡おごおり町・秋穂あいお町・阿知須あじす

山口県の中央部やや西寄り南部に、三町が三ヵ所に分散して位置する。椹野ふしの川下流域を町域とする小郡町椹野川が山口湾に流れ込む河口西岸の阿知須町周防灘に面し、大海おおみ湾・秋穂湾に囲まれる秋穂町とからなる。旧吉敷郡の大部分は山口市域となっている。

郡名の初見は「続日本紀」天平二年(七三〇)三月一三日条に「周防国熊毛郡牛島西汀、吉敷郡達理山所出銅、試加冶練、並堪用、便令当国採冶、以充長門鋳銭」とみえる。また平城宮出土木簡の天平二年九月の年号のあるものに「吉敷郡」の名がみえ、天平一七年九月八日付のものには「周防国吉敷郡神埼郷戸主阿曇五百万呂口同部」「□麻呂進上調塩一斗」などの文字がみえる。なお正倉院文書の天平勝宝九年(七五七)西南角領解に「周防国余色郡」と記される。「和名抄」の訓に「与之岐」とあるように「よしき」と訓じたゆえに余色の字があてられたものと思われる。

近代以前の吉敷郡の郡域は、現吉敷郡・山口市域に加えて、防府ほうふ市大字台道だいどう宇部市大字東岐波ひがしきわ西岐波にしきわの範囲である。

〔原始〕

周防灘を望む海岸沿いの台地には早くから人が住んだらしい。現山口市域に属する秋穂二島あいおふたじま美濃みのはま遺跡では、洪積層の中から先土器時代の流紋岩を用いた石刃剥片が掘り出された。この美濃ヶ浜遺跡は縄文時代から古墳時代に至る遺物や住居跡が検出された複合遺跡で、長い年月にわたる居住地であったことがうかがえ、付近のかぶと山と揺木ゆるぎ山の南斜面には多くの古墳群も分布する。また遺物の中におびただしい製塩用の粗製土器が混じるのも特色で、早くからこの地帯に製塩のなされていたことが知られる。

美濃ヶ浜の対岸、阿知須町域では海岸部から少し離れた丘陵地引野貝殻ひきのかいがら山に弥生中期の高地性集落跡が確認される。また椹野川西岸の小郡町大字上郷かみごうの丘陵部にも弥生時代の貝塚があり、人骨や多くの土器などが発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

防府市歴史用語集 「吉敷郡」の解説

吉敷郡

 周防[すおう]国の長門[ながと]国寄りにあり、現在の小郡町・山口市・秋穂町・阿知須町にあたります。一部防府大道地区も含みます。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

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