吉村信吉(読み)よしむらしんきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉村信吉」の意味・わかりやすい解説

吉村信吉
よしむらしんきち
(1906―1947)

陸水学者。東京に生まれ、1930年(昭和5)東京帝国大学地理学科を卒業。東京、九州各帝国大学などの講師、陸軍士官学校教授を経て、第二次世界大戦後中央気象台(現、気象庁技師に転じる。昭和22年1月22日に結氷した諏訪(すわ)湖で観測中、氷が割れて殉職した。総合湖沼学日本に紹介し、数百編の論文を発表し、田中阿歌麿(あかまろ)の開拓した日本の湖沼学を一段階発展させた。全国の湖沼を実地調査し、新たな湖沼型によって類別し、湖盆形態、水温水質などを海外の研究結果と比較し、日本の湖沼の特性を明らかにした。武蔵野(むさしの)の地下水分布を独自の方法で調査するなど、広く陸水学・地理学への寄与も大きい。名著『湖沼学』(1937)ほかの著書がある。

石山 洋]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉村信吉」の解説

吉村信吉 よしむら-しんきち

1907-1947 昭和時代の湖沼学者。
明治40年8月21日生まれ。東京帝大,九州帝大などの講師,陸軍士官学校教授をへて,戦後中央気象台海洋課技官となる。実地調査により日本の湖沼,地下水について独自の研究をおこなう。昭和22年1月21日諏訪(すわ)湖で氷上調査中に殉職。41歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「湖沼学」。

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百科事典マイペディア 「吉村信吉」の意味・わかりやすい解説

吉村信吉【よしむらしんきち】

地理学者,湖沼学者。東京生れ。東大卒。陸軍士官学校教授。東京文理科大,東大などで教鞭をとり,戦後は中央気象台に勤めた。日本の湖沼学を体系化した先導者で,武蔵野台地の地下水研究ほか300余編の研究業績を残した。諏訪湖で殉職。主著《湖沼学》(1937年)。

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世界大百科事典(旧版)内の吉村信吉の言及

【湖沼学】より

…日本では1899年に田中阿歌麿(1869‐1944)によって初めて湖沼学が開拓され,諏訪湖の研究などが行われた。ほかに田中館秀三(1884‐1951),宮地伝三郎(1901‐88),吉村信吉(1906‐47)らの調査研究により,湖沼学は非常に進歩した。 現在の湖沼の研究は細分化され,専門化されている。…

※「吉村信吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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