吉田司家(読み)よしだつかさけ

精選版 日本国語大辞典 「吉田司家」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐つかさけ【吉田司家】

相撲家元といわれる家。寛政三年(一七九一熊本細川家の家臣吉田追風は、将軍の上覧相撲を機に力士行司を支配する相撲司家となり、相撲界を全国的に支配するに至った。横綱免許などを行なっていたが、昭和二六年(一九五一以後はその権限日本相撲協会に譲り、現在は形式的な存在となっている。

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デジタル大辞泉 「吉田司家」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐つかさけ【吉田司家】

相撲行司の家元。江戸時代、15世追風おいかぜが細川家に仕えて相撲司家となって以来、熊本にあって全国の力士・行司を支配し、横綱の免許を与えた。昭和26年(1951)以降、その権限は日本相撲協会に譲られた。

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日本歴史地名大系 「吉田司家」の解説

吉田司家
よしだつかさけ

[現在地名]熊本市北千反畑町

藤崎ふじさき八旛宮参道北側の中ほど、白壁の腰板塀に囲まれる吉田家は、相撲の司として知られる。相撲の節会行事を総差配する職務で、具体的には横綱免許状の交付と横綱相撲の行司であった。戦前は横綱の免許状は吉田家から発行され、横綱に推薦された者はすべて吉田家で神前手数入を済ませて免許を受ける仕来りであった。吉田家伝によると、文治二年(一一八六)宮中における相撲節会が再興されるにあたり、吉田神道家の一人吉田家次が召され節会を無事終了させた。後鳥羽天皇は喜んで「追風」の名前と獅子王団扇を与え(現存)、その後吉田家は相撲界の宗家として認められ、京都に住した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田司家」の意味・わかりやすい解説

吉田司家
よしだつかさけ

相撲(すもう)行司の家元。初代鎌倉時代の相撲行司で、代々この名を号した。江戸時代、熊本の細川家に家臣として仕えていた吉田追風(おいかぜ)(19代)(?―1818)は、1791年(寛政3)の将軍の上覧相撲を機に、相撲司家として、力士・行司を全国的に支配し、相撲作法を厳守させ、故実門人と横綱免許の証状を与えていた。1951年(昭和26)以降、横綱免許などの権限を日本相撲協会に譲り、現在は絶縁になっている。

[池田雅雄・徳増信哉 2019年12月13日]

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世界大百科事典(旧版)内の吉田司家の言及

【横綱】より

…横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。当時,横綱は腰にまとったしめ縄をさすのみで,もちろん番付には関係がなく,また大関の称号でもなかった。…

※「吉田司家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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