吉田玉男(読み)よしだたまお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田玉男」の意味・わかりやすい解説

吉田玉男
よしだたまお
(1919―2006)

文楽(ぶんらく)人形遣い本名上田末一。大阪市生まれ。14歳で吉田玉次郎に入門、翌年『和田合戦女舞鶴(わだがっせんおんなまいづる)』の綱若役で四つ橋文楽座で初舞台。名人初世吉田栄三(えいざ)に私淑して足遣いの修業を積んだ。第二次世界大戦後の二派分裂時代は因(ちなみ)会に属し、二枚目役を得意として頭角を現し、とくに『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』の徳兵衛は、1955年(昭和30)の復活初演以来の持ち役として好評を博し、94年(平成6)8月には上演1000回の記録を達成した。3世吉田玉助(1895―1965)没後荒物(あらもの)ももち、初世栄三風の内面的演技は定評があり、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の熊谷(くまがい)、『ひらかな盛衰記』の樋口、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の菅丞相(かんしょうじょう)などは栄三を超える域に達して、戦後人形遣いの最高峰となった。1977年重要無形文化財保持者に認定。78年紫綬褒章(しじゅほうしょう)、89年勲四等旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)、98年朝日賞を受賞。2000年文化功労者

[山田庄一]

『吉田玉男・山川静夫著『文楽の男・吉田玉男の世界』(2002・淡交社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田玉男」の意味・わかりやすい解説

吉田玉男
よしだたまお

[生]1919.1.7. 大阪,大阪
[没]2006.9.24. 大阪
人形浄瑠璃文楽の人形遣い。本名上田末一。夜学校に通いながら冷暖房会社の給仕を務めていたが,1933年吉田玉次郎に入門。吉田玉男と名のる。翌 1934年,大阪四ツ橋文楽座における『和田合戦女舞鶴』の綱若で初役を務めた。1940~45年兵役で舞台活動を中断,1949年に文楽が二派に分かれてからは因会(ちなみかい)に所属して修業にいそしみ,早くから次代を担う逸材として期待された。当初は二枚目役を得意とし,1955年に復活初演された『曾根崎心中』の徳兵衛は,生涯に 1136回演ずるあたり役となった。1963年の文楽協会設立後は,2世桐竹勘十郎とともに立役(男役)の中心的存在となり,『仮名手本忠臣蔵』の由良助や『義経千本桜』の知盛などの座頭役に芸域を広げ高い評価を受けた。2005年9月に休演するまでのおよそ 40年間,人形の第一人者として文楽の屋台骨を支え続けた。『菅原伝授手習鑑』の菅丞相のような気品の漂う役では他の追随を許さなかった。1977年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され,1978年紫綬褒章を受章,2000年に文化功労者に選ばれた。(→人形浄瑠璃文楽

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田玉男」の解説

吉田玉男(初代) よしだ-たまお

1919-2006 昭和-平成時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
大正8年1月7日生まれ。吉田玉次郎に入門,昭和9年初舞台。のち初代吉田栄三(えいざ)にまなび,師ゆずりの品格ある芸風と理詰めの演技でたかく評価される。「曾根崎心中」の徳兵衛役はとくに有名。52年人間国宝。平成12年文化功労者。平成18年9月24日死去。87歳。大阪府出身。本名は上田末一。

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