吉田義男(読み)ヨシダヨシオ

デジタル大辞泉 「吉田義男」の意味・読み・例文・類語

よしだ‐よしお〔‐よしを〕【吉田義男】

[1933~ ]プロ野球選手・監督京都の生まれ。昭和28年(1953)阪神入団遊撃手として活躍ベストナインに9回選出された。のち同球団の監督に就任し、同60年にはチームを21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に導いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田義男」の意味・わかりやすい解説

吉田義男
よしだよしお
(1933― )

プロ野球選手(内野手:右投右打)、監督。7月26日、京都府生まれ。山城高から立命館大学に進学するが、中退して1953年(昭和28)に大阪タイガース(現、阪神タイガース)に入団、学生時代から評判の高かった守備で1年目から正遊撃手となった。八艘(はっそう)飛びを思わせる軽快な身のこなしで「今牛若丸」とよばれ、「捕球する前にもう投げている」といわれたほどのすばやいスローイングでファンをうならせた。ベストナインに選出されること9回、これは遊撃手のプロ野球記録(2015年時点)であり、吉田のところへ打球が飛んだだけでスタンドが沸いた。打撃は粘り強さが身上で、三振が少なく、1954年の30個が最多で、通算6980打数に対して325三振しかしなかった。1954年と1956年には盗塁王も獲得している。1969年で現役を引退。その背番号23は阪神の永久欠番。1975年から1977年、1985年から1987年、1997年(平成9)から1998年と三度にわたり阪神の監督を務めた。1985年には真弓明信(まゆみあきのぶ)、ランディー・バース掛布雅之(かけふまさゆき)、岡田彰布(あきのぶ)の4人がホームラン30本以上を打つという強力打線で21年ぶりのリーグ優勝、西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)との日本シリーズも制して日本一となった。なお、1990年にはフランス代表チームの監督を務めた。

[出村義和 2016年9月16日]

 選手としての17年間の通算成績は、出場試合2007、安打1864、打率2割6分7厘、本塁打66、打点434、盗塁350。獲得したおもなタイトルは、盗塁王2回、ベストナイン9回。監督としての通算成績(8年)は、1051試合、484勝511敗56分け、勝率4割8分6厘、リーグ優勝1回、日本シリーズ優勝1回。1992年(平成4)野球殿堂野球殿堂博物館)入り。

[編集部 2016年9月16日]

『川上貴光著『“ムッシュ”になった男――吉田義男パリの1500日』(1997・文芸春秋)』『吉田義男著『海を渡った牛若丸』(1994・ベースボール・マガジン社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田義男」の解説

吉田義男 よしだ-よしお

1933- 昭和後期-平成時代のプロ野球選手,監督。
昭和8年7月26日生まれ。昭和28年阪神に入団。小柄ながらシュアな打撃,華麗な遊撃守備で,牛若丸とよばれた。実働17年,盗塁王2回,通算1864安打,2割6分7厘。50-52年阪神監督。60年阪神監督に復帰し,日本一を達成。62年からフランスで野球指導。平成9-10年阪神監督。4年野球殿堂入り。京都出身。立命館大中退。

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