吉野町(読み)ヨシノチョウ

デジタル大辞泉 「吉野町」の意味・読み・例文・類語

よしの‐ちょう〔‐チヤウ〕【吉野町】

吉野

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日本歴史地名大系 「吉野町」の解説

吉野町
よしのちよう

[現在地名]吉野町大字吉野山

吉野川沿いの六田むだ橋屋はしや丹治たんじの各村の南から山上さんじようヶ岳に通ずる修験の修行道に沿った尾根上の街村。人家は馬の背状の尾根伝いにあるため、表は一階でも裏は二階、三階となっている。こうした建物を「吉野建」あるいは「がけ造」とよんでいる。本居宣長の「菅笠日記」に当時の町の景観が次のように記されている。

<資料は省略されています>

慶長郷帳では「吉野山」、元和郷帳では「吉野山村」、寛永郷帳では「吉野分」、元禄郷帳では「吉野町」とみえる。「大和志」では「吉野山」と記し、池田いけだ郷のうち。慶長郷帳では村高八五三・九二石、小路しようじ(現下市町)とともに吉野蔵王堂領である。

織田信長時代に没収されていた寺領は、文禄検地ののち、豊臣秀吉によって改めて蔵王堂領として寄進された。

<資料は省略されています>

文禄四年(一五九五)一一月、郡山城主増田長盛により吉野山惣中御朱印知行割が行われ、蔵王修理領(五一三石)、衆徒(一三一石、吉水院ほか二一院)、部屋住寺僧(二〇石、一〇人)、満堂(一九三石、福島坊ほか三四坊)、勝手社僧(一〇〇石、三二坊)、禰宜・八乙女(子守神社以下二四人)、穀屋・天神(一七石)に配分された(「芳野幽探」吉野山の密井家蔵)が、造営領をめぐり争いが絶えなかった(本光国師日記)。慶長一九年(一六一四)になると吉野一山は徳川家康の命により南光坊天海の支配下に入り、次のような制札が出されている。

吉野町
よしのちよう

面積:一三・三二平方キロ

板野郡西部、阿讃あさん山脈の南麓に位置。町域西部を南流する熊谷くまだに川や、北端を南東流する宮川内谷みやごうちだに川によって形成された複合扇状地上にあり、南部は東流する吉野川の氾濫によって形成された沖積平野が広がる。東は上板かみいた町、南は吉野川を挟み麻植おえ鴨島かもじま町、北と西は土成どなり町と接する。町域西部を南北に国道三一八号、町域北端の土成町境を東西に主要地方道鳴門―池田いけだ線が通る。中世には柿原かきはら庄が成立し、中世城館跡として柿原城・西条さいじよう城などがあった。近世には板野郡(寛文四年までは板東郡)の二村、阿波郡の一村があり、徳島藩領であったが、天和二年(一六八二)当時、五条ごじよう村に一部富田藩の家臣領があった。近世初頭、西条城は阿波九城の一とされた。西条原(のち広永)香美かがみ(現市場町)などには、原野の開墾と阿讃山脈方面の警備を兼ねて原士が置かれた。

吉野町
よしのちよう

面積:九四・九二平方キロ

郡の北端中央部を占める。西は大淀町・下市町、南は黒滝村・川上村、東は東吉野村に接し、北は西から高市郡明日香村、桜井市、宇陀郡大宇陀町と境する。境界上の主な山には大宇陀町界の竜門りゆうもん(九〇四・三メートル)からす塒屋とや(六五九・八メートル)、南端の青根あおねヶ峯(八五七・九メートル)があり、明日香村境のいも峠は古来奈良盆地と吉野川渓谷を結ぶ通路として有名である。

吉野町
よしのちよう

[現在地名]平戸市木引田町きひきだちよう 吉野町

平戸城の南西、天神てんじん町の南に位置する。本町ほんちよう通六ヵ町の一つ木引田町に属する。築地の埋立以前は、海手の町屋はかがみ浦の西岸に面していた。当町に住した明人の古道(唐人大工古道)は、天正年間(一五七三―九二)豊後国より平戸に移っていたが、天正一四年八月羽柴秀吉に招かれて方広ほうこう(現京都市東山区)で大仏作事に工匠として従事するため上洛している(八月一五日「羽柴秀吉朱印状」松浦家文書)

吉野町
よしのちよう

上京区黒門通下長者町下ル

南北に通る黒門くろもん通の両側町で、北は下長者町しもちようじやまち(旧鷹司小路)、南は出水でみず(旧近衛大路)。平安京の条坊では左京一条二坊一保二町の中央の地で、官衙町の「左衛門府」の跡地(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「吉野丁」とみえるが、寛永一八年以前平安城町並図には「くろ門町」とあり、以後両町名が多く用いられた。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「吉野屋町」として北組・南組の二町に分れている。

吉野町
よしのちよう

中京区錦小路通堀川西入

東西に通る錦小路にしきこうじ(旧錦小路)を挟む両側町。中央西寄りを南北に岩上いわがみ通が通り、東側は堀川ほりかわ通。

平安京の条坊では、町の南側は左京四条二坊二保五町北、北側は左京四条二坊二保六町南に位置する。平安中期以降は錦小路大宮大路の東にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉野町」の意味・わかりやすい解説

吉野〔町〕
よしの

奈良県中部,吉野川中流域にある町。 1928年町制。 56年上市町,中竜門,中荘,国樔,竜門の4村と合体。北岸にある中心集落の上市は古くから市場町として発展。現在は吉野杉の集散地で製材業が行われ,建築用材,割箸,磨き丸太を産する。南部にある吉野山は桜の名所で史跡・名勝に指定されている。南朝ゆかりの地で史跡も多く,吉野熊野国立公園に属する。付近の家造りは吉野式家屋として知られる。吉野水分神社,金峯山寺,金峯神社は国宝を所蔵。吉野川沿岸には縄文・弥生時代の宮滝遺跡 (史跡) ,支流の津風呂川には津風呂ダムがある。両河川の合流点付近の妹山樹叢は天然記念物。一帯は吉野川津風呂県立自然公園に属する。近畿日本鉄道吉野線の終点駅があり,国道 169号線と 370号線が宮滝で分岐。面積 95.65km2。人口 6229(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「吉野町」の解説

吉野町

(奈良県吉野郡吉野町)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
吉野山は3万本の桜が咲く景勝地として全国的に有名。日本の三大美林と言われる吉野スギの産地。金峯山寺蔵王堂を中心とした門前町で、景観を保全。2004(平成16)年世界遺産に登録。国栖地区は古来からの和紙づくり技術を継承し、自然を生かしたものづくりの里として発展した

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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