吉雄圭斎(読み)よしおけいさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉雄圭斎」の意味・わかりやすい解説

吉雄圭斎
よしおけいさい
(1822―1894)

幕末から明治にかけての医家。長崎の人。名は種文。曽祖父(そうそふ)が耕牛であり、父は2代目吉雄幸載(こうさい)(1788―1866)である。父の跡を継いで外科医となり、出島のオランダ商館出入り医師となる。1848年(嘉永1)オランダ人軍医モーニケが来日すると彼に師事して牛痘接種法を学び、翌1849年バタビア(ジャカルタ)から届いた牛痘苗の発痘に成功すると、楢林宗建(ならばやしそうけん)らとその普及に努めた。その後、養生所や精得館でポンペボードインについて西洋医学を学んだ。1870年(明治3)熊本病院初代院長となったが翌1871年辞職し、長崎で開業した。1877年西南戦争では長崎軍団病院に勤め、陸軍一等軍医となった。

[大鳥蘭三郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉雄圭斎」の解説

吉雄圭斎 よしお-けいさい

1822-1894 江戸後期-明治時代の医師。
文政5年5月8日生まれ。家業の外科医をつぎ,出島のオランダ商館出入り医師となる。嘉永(かえい)元年オランダの軍医モーニッケに牛痘接種法をまなび,種痘の普及につとめた。熊本病院初代院長。明治27年3月15日死去。73歳。肥前長崎出身。名は種文。

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