周公旦(読み)シュウコウタン(英語表記)Zhou-gong Tan; Chou-kung Tan

デジタル大辞泉 「周公旦」の意味・読み・例文・類語

しゅうこう‐たん〔シウコウ‐〕【周公旦】

周公

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「周公旦」の意味・わかりやすい解説

周公旦
しゅうこうたん
Zhou-gong Tan; Chou-kung Tan

中国,周初の摂政。周の文王の第4子,武王の弟。武王が殷を滅ぼしてのち,に封じられたが,封地におもむかず首都鎬京にとどまって武王を助け,次の成王即位後は摂政として国事にあたった。三監の乱を鎮定してより封建制度を確立し,特に東方経営に力を注ぎ,新しく洛邑に東都成周を建設した。後世儒家により理想の聖人とされ,特に『周礼』の作者と考えられたが,この点は疑問である。むしろ西周王朝草創期にその基礎を定めた政治家として評価されるべきであろう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「周公旦」の解説

周公旦(しゅうこうたん)
Zhougong Dan

生没年不詳

前11世紀頃の人。周公とも呼ぶ。初の王族文王の子。兄の武王を助けて殷(いん)を滅ぼし,武王の死後,幼少の成王を補佐し,東夷征討,洛邑(らくゆう)を建設,周王朝の基礎を固めた。周の封建制創始者とされ,後世儒家から尊崇された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の周公旦の言及

【爾雅】より

…著者,著作の年代,ともに未詳。ただし周公旦の著作といい,あるいは孔子の作といい,またあるいは孔子の弟子の作というのは,いずれもこの字書を重視し,できるだけ由緒正しいものに仕立てようというためであろう。《爾疋(じが)》とも書くが,いずれも〈爾〉は〈邇〉すなわち〈近〉,〈雅〉もしくは〈疋〉は〈正〉,全体として〈正しきに近づく〉意だとされ,もと《五経》をその正しい意味において読むための字書だとされた。…

【周】より

…武王は東方支配のために洛邑(洛陽市西郊)を建設しようとして果たさず,鎬京に帰還して数年後に死亡した。位を継いだ成王が幼少のため,叔父の周公旦(武王弟)が一時政治を行ったが,殷の監視のため東方に派遣されていた管叔(武王弟)らが,周公が王位を奪うと疑って反乱を起こし,これに殷の旧領を支配していた紂王の子の武庚が加担し,大動乱が起きた。周公は成王の命を受けてこれを鎮圧し,殷の残存勢力を一掃して,周の支配を確立した。…

【周公】より

…生没年不明。本名は姫旦(きたん),周公旦ともいう。周の文王の子。…

【魯】より

…?‐前249年。周武王の弟で,周王朝創設の大功臣周公旦を始祖とする。山東省曲阜(きよくふ)に都をおく。…

※「周公旦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android