和田(読み)わだ

精選版 日本国語大辞典 「和田」の意味・読み・例文・類語

わだ【和田】

長野県中央部の地名和田峠の北東側一帯を占める。江戸時代中山道長久保(長窪)と下諏訪との間の宿駅として発達

わだ【和田】

姓氏の一つ

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デジタル大辞泉 「和田」の意味・読み・例文・類語

わだ【和田】

姓氏の一。
[補説]「和田」姓の人物
和田英作わだえいさく
ワダエミ
和田三造わださんぞう
和田清わだせい
和田維四郎わだつなしろう
和田英松わだひでまつ
和田誠わだまこと
和田万吉わだまんきち
和田雄治わだゆうじ
和田芳恵わだよしえ
和田義盛わだよしもり

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日本歴史地名大系 「和田」の解説

和田
わだ

「日向記」において南北朝前期からみえる地名。「三俣和田城」は肝付兼重が南朝方であった南北朝前期に肝付氏の知行で、のち和田は伊東氏が土持氏に与えた地とされている。三俣みまた院をめぐる伊東氏と北郷氏の争いのなか、永正一七年(一五二〇)七月一日に伊東氏は「和田梶山」を本陣として都城町屋を攻めており、和田は梶山かじやま(現三股町)を含む地域であった。大永二年(一五二二)四月二六日に北郷氏が梶山を攻めた際、伊東方の和田梶山の軍勢は八代祐量らで、小鷹原こたかばる(現同上)方面で北郷勢を撃退している。その後、伊東氏と北郷氏の和議が成立し、北郷左衛門尉の娘が伊東祐充に輿入れした大永四年八月二五日には、佐土原さどわら(現佐土原町)方面へ向かう途上の娘の一行が「和田高城」の稲津民部大輔宅に一宿している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和田」の意味・わかりやすい解説

和田
わだ

千葉県南部,南房総市東部の旧町域。房総半島南部に位置し,太平洋に面する。 1890年町制。 1955年北三原村と合体。 1956年南三原村の一部を編入。 2006年富浦町,富山町,三芳村,白浜町,千倉町,丸山町と合体して南房総市となった。中世には里見氏の支配下にあり,近世には江戸幕府の直轄地となった。海岸部は無霜地帯で,花卉栽培が行なわれる。和田漁港は江戸時代から続く関東で唯一の捕鯨の本拠地として知られる。内陸部は米作酪農が盛ん。和田浦岩石海岸で景色がよく,南房総国定公園の中心の一つをなす。嶺岡浅間 (336m) 南麓にあたる北部一帯は嶺岡山系県立自然公園に属する。

和田
わだ

長野県中部,長和町西部の旧村域。筑摩山地南端に位置する。 1889年村制。 2005年長門町と合体して長和町となった。千曲川支流依田川の上流域にあり,大部分が山林。近世は中山道の宿場町で,南西に和田峠を控えてにぎわった。和田峠から男女倉口までの約 5kmは当時の面影がよく残され,中山道として国の史跡に指定されている。林業とエノキダケなどの栽培が行なわれる。一部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「和田」の意味・わかりやすい解説

和田(千葉) (わだ)

和田(長野) (わだ)

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事典・日本の観光資源 「和田」の解説

和田

(長野県小県郡長和町)
中山道六十九次」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の和田の言及

【南信濃[村]】より

…南東部は赤石山脈,北西部は伊那山地が占め,その間を走る中央構造線に沿って遠山川が北東から南西に貫流する。川沿いの一帯は古く遠山郷と呼ばれ,秋葉街道(国道152号線)が通じる中心集落の和田は江戸時代に遠江の秋葉神社へ参詣する人々の宿場として栄えた。秋葉街道は三河の塩を信濃に運び,また木材を搬出する通路でもあった。…

※「和田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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