哲宗(読み)てつそう(英語表記)Ch`ǒl-jong

改訂新版 世界大百科事典 「哲宗」の意味・わかりやすい解説

哲宗 (てつそう)
Ch`ǒl-jong
生没年:1831-63

朝鮮,李朝第25代の王。在位1849-63年。兄の獄事に連座して江華島に流されていたが,前王の憲宗(在位1834-49)に後継ぎがなく,突然ソウルによび戻されて19歳で即位した。国王としての正規の教育を受けず,姻戚の安東金氏のなすがままであった。王の治世中には税制の乱れがはなはだしく,水災や疫病がはやり,1862年には壬戌(じんじゆつ)民乱とよばれる全国的な民衆反乱が起きた。また,周辺の国々では日本の開港(1854)や英仏連合軍による北京占領事件(1860)があり,朝鮮沿岸にも英仏の艦船が出没して朝野に不安を与えた。哲宗の時代にはこのような不安な世相を背景に,朝鮮の民衆宗教ともいうべき東学が生み出された。
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哲宗 (てつそう)
Zhé zōng
生没年:1076-1100

中国,北宋第7代皇帝,趙喣(ちようく)。在位1085-1100年。神宗の第6子。10歳で帝位についたが,祖母宣仁太后高氏が摂政として君臨した。元祐の年号の8年間は,司馬光,蘇轍(そてつ),呂大防らを中心に反新法の保守政治が行われた。1093年(元祐8),高氏が死ぬと親政し,紹聖と年号を改め,章惇(しようとん)らを登用して,新法の政治を行った。神宗実録の書き改め,旧法党の大弾圧などにより,党争を激化させた。廃された孟皇后はのち高宗の擁立に力を貸した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「哲宗」の意味・わかりやすい解説

哲宗
てつそう
(1076―1100)

中国、北宋(ほくそう)第7代皇帝(在位1085~1100)。第6代皇帝神宗の子。姓名は趙喣(ちょうく)。10歳で即位したが、9年間は高太皇太后の摂政(せっしょう)を受けた。この時期は神宗時代の反動を受け、旧法党が新法党にかわって政権を担当した。いわゆる元祐(げんゆう)の更化である。高太皇太后が没すると新法党を採用し、神宗の治世に倣おうとし、年号も新たにした。しかし、新・旧両法党の激しい抗争が起こり、しかも旧法党弾圧に主眼が置かれた政治抗争であったため、国力の衰退を招いた時期でもあった。

[伊原 弘]

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