世界大百科事典(旧版)内の唐荆川の言及
【唐順之】より
…中国,明代の文学者,思想家。字は応徳。荆川と号し,明末に襄文と追諡(ついし)された。江蘇武進の人。嘉靖8年(1529)の進士。七子派の古文辞の模擬に過ぎるあまり,文のリズムを失った点を批判し,唐・宋の伝統的な古文への復古を主張した。〈董中峯侍郎文集序〉に〈開闔(かいこう)・首尾・経緯・錯綜の法〉というのは,その理論である。王慎中,帰有光とあわせて,明代の唐宋派古文の三大家に数えられる。天文,楽律,地理,兵法,数学(三角)などから文学に関するまで,きわめて博学で,多くの著述がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」