喜阿弥(読み)きあみ

改訂新版 世界大百科事典 「喜阿弥」の意味・わかりやすい解説

喜阿弥 (きあみ)

南北朝~室町初期の田楽新座の役者。観阿弥とほぼ同世代と考えられるが,生没年は不詳。芸名は亀夜叉。亀阿弥とも書く。《続教訓抄》の応安7年(1374)3月29日の条に名が見える。足利義満の時代に,大和猿楽観阿弥近江猿楽犬王と同等の活躍で格別の芸域にあった。喜阿弥の芸については世阿弥の《申楽談儀》に詳しく,世阿弥は彼を〈音曲の先祖模範)〉とし,〈寵深花風(ちようしんかふう)〉(〈妙花風〉に次ぐ第2位)と評価している。音曲は日吉(ひえ)の牛熊(うしくま)のを似せたという。世阿弥は12歳のときに法雲院(興福寺の院家)での彼の技巧を超えた謡い方に感銘を覚え,《炭焼きの能》では〈古銅の物(古色の中に滋味のある芸)を見るやう〉の印象を深くするなど,かなりの影響を受けたようで,世阿弥の謡い方には〈喜阿がかり〉が随所に含まれていたらしい。曲舞(くせまい)は歌わず,文盲であったとも世阿弥は記している。《五音》に喜阿弥の作曲として《汐汲》《女郎花》《禿高野》《熱田》《草取り歌》を挙げる。勧進の桟敷数を54間内(普通は62~63間)に設置するなど,自分の声の効果をわきまえていた。
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朝日日本歴史人物事典 「喜阿弥」の解説

喜阿弥

生年:生没年不詳
南北朝・室町時代初期の田楽新座の役者。芸名亀夜叉。亀阿弥とも。将軍足利義満の時代に観阿弥,道阿弥などと並んで活躍。『続教訓抄』応安7(1374)年3月29日条に名前がみえる。世阿弥の『申楽談儀』でも「音曲の先祖」としてしばしば言及されており,それによれば文字を識らなかったこと,「胡銅(ブロンズ)の物を見るやう」な通好みの芸風であったこと,南都の装束賜りの能での名演をはじめ,音曲の名人として名を馳せていたことなどが知られる。日吉の牛熊を似せたというその音曲は「喜阿がかり」と呼ばれ,世阿弥にも大きな影響を与えたらしい。

(石井倫子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の喜阿弥の言及

【猿楽】より

…なかでも大和猿楽の四座,近江猿楽六座が名高く,ことに大和の結崎(ゆうざき)座の観阿弥世阿弥父子によって今日の能の基礎が固められるのである。
[猿楽の役者]
 当時の有名な役者たちを挙げると,〈田楽〉の一忠・花夜叉・喜阿弥・高法師(松夜叉)・増阿弥(〈田楽〉も猿楽とさして距離をおかぬものであって,世阿弥伝書にも総合的に論じられている),近江猿楽の犬王(いぬおう),大和猿楽の金春権守(こんぱるごんのかみ)・金剛権守などである。喜阿弥は音曲(謡)の名手,閑寂な能を演じ,世阿弥が少年時代に瞠目(どうもく)して観覧し,のちのちの語りぐさにしたという。…

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