四条通(読み)しじょうどおり

精選版 日本国語大辞典 「四条通」の意味・読み・例文・類語

しじょう‐どおり シデウどほり【四条通】

京都市の東西通りの一つ。東大路八坂神社から西の方は松尾大社に至る街路。江戸時代祇園町が開かれた。河原町通りと交差する四条河原町の一帯は、市の代表的な繁華街。四条。

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日本歴史地名大系 「四条通」の解説

四条通
しじようどおり

錦小路にしきこうじ(旧錦小路)綾小路あやこうじ(旧綾小路)の間を東西に貫通平安京開設の際に開かれた四条大路にほぼ該当。「坊目誌」は「東は東山通八坂神社に起り、西は大宮西方に至り、葛野郡朱雀野村字壬生に接す。(中略)足利氏執政の初め四条立売と称し、商賈互に開け繁昌す。文明以来一時凋落せしが、天正後再ひ繁華の地となる。河原町以東は当時洛外たり。寛文中祇園町を開き、川東の地も亦繁盛を加へたり」と記す。

天元五年(九八二)成立の「池亭記」には「東京四条以北、乾艮二方、人人無貴賤、多所群聚也、高家比門連堂」と、平安時代後期には本通りを境として以北には貴賤を限らず人家の密集した状況が記されている。またその頃になると、平安京の官設市場である東西市も衰退し、代わって町尻まちじり小路(現新町通)を基軸とした地域が繁栄するが、この四条町(四条町)には時代はやや下るが、直垂座の存在がみえている(「観応元年八月一二日付売券」鹿王院文書)

四条通
よじようどおり

[現在地名]旭川市四条通

明治三二年(一八九九)に新設された町。明治二五年一月旭川村市街予定地の区域設定では「へ通」(一―一三丁目)、同二七年四月の区域変更では「ち通」とされた。同二八年二月の字名変更により寺町てらまちとなる。同三二年八月の字名変更で四条通が設定され、昭和四年(一九二九)四月の町名変更でも四条通で、二―二三丁目が置かれた。同二六年三月の町名変更で二四―二七丁目を追加。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四条通」の意味・わかりやすい解説

四条通
しじょうどおり

京都市街地の中央を東西に通ずる街路の一つ。東は祇園八坂(ぎおんやさか)神社前から西は桂(かつら)川までの約8キロメートルで、平安京の四条大路にほぼ該当する。1912年(明治45)の道路拡張によって京都市の中心街となり、とくに南北に走る河原町通が交わる四条河原町は、高島屋などのデパートや商店、飲食店が集中し、新京極、祇園にも近く、京都市の代表的な繁華街をなしている。烏丸(からすま)通と交わる四条烏丸付近は銀行などが集まる。室町(むろまち)通と交わる室町四条付近が、室町時代から町衆によって繁栄したことは、現在も祇園祭の山鉾(やまぼこ)がここを中心に配されることからもうかがえる。西院から四条河原町まで、地下に阪急京都線が走る。

織田武雄


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四条通」の意味・わかりやすい解説

四条通
しじょうどおり

京都市の市街地中央部を東西に通じる街路。東大路祇園から右京区松尾橋まで。延長約 8km。中央部は平安京の四条大路にあたり,1911年道幅を平均 22mに拡張後,沿道は急速に発展。特に河原町-烏丸間には,百貨店,銀行,会社,高級専門店が並び,金融,商業の中心街を形成している。 63年阪急電鉄京都線が河原町まで地下を通って延びた。四条大橋の東側には祇園町や八坂神社,南座がある。毎年7月 16日の祇園祭宵山,17日の山鉾巡行路にあたる。

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