国市(読み)くにいち

改訂新版 世界大百科事典 「国市」の意味・わかりやすい解説

国市 (くにいち)

中世,一国あるいは一地域内の商品交換において中心的,基準的な機能・役割をもっていた市,あるいは地方の市の意。鎌倉時代以降商品貨幣経済の発展につれて全国的に定期市が開かれるようになったが,一国内あるいは一定地域内に成立した多くの定期市は,それぞれの地方のもっとも中心的な市の市日を基準にして開催日が決められたり,市での価格も中心市の価格に準じて決定される傾向が強まっていた。こうした一国あるいは一定地域内の定期市網のなかでの中心的な市が国市,親市と呼ばれ,一の日に開かれるものがあった。南北朝時代,近江の愛智郡の長野市は中山道に接し,地理的に国の中心部に位置していたためか親市と称され,一日市であった。周辺の定期市はおそらく長野一日市を基準にして市日が決定されたことも考えられる。また鎌倉時代の1258年(正嘉2),本家円満院,領家寂楽寺領時代の紀伊国阿弖川荘(あてがわのしよう)の年貢綿貢納にさいして,〈国の市のうりね〉を確かめて,そこでの相場で綿の代銭納価格を決め,銭納している。これは山間荘園阿弖川荘での綿相場がおそらく海岸平野部か紀ノ川沿岸地域に成立していた有力市,すなわち国市での相場を参考に決められていたことを示すものといえる。また国には地方・郷土田舎といった意味があり,中世に“国和市(くにわし)”(和市)が京都など中央からみた場合の地方の相場を意味していたこともあるので,国市も地方の市ないし田舎の市の意味をもっていたということも考えられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の国市の言及

【市】より

…また〈おふさの市〉〈餝磨市〉〈飛鳥の市〉などははじめて見えるもので,各地に新たな市が増えていることがうかがえる。市司国市東市・西市【栄原 永遠男】
[中世]
 平安京の東西市は,鎌倉期に入ると西市が消滅し,東市のみが残存,皇子女の五十日祝(いかのいわい)の祝餅などが買われている。京都の商業は,三条町,四条町,七条町などの町通り(現在の新町)の店舗商業を中心とするようになった。…

※「国市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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