国立市(読み)クニタチシ

デジタル大辞泉 「国立市」の意味・読み・例文・類語

くにたち‐し【国立市】

国立

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日本歴史地名大系 「国立市」の解説

国立市
くにたちし

面積:八・一五平方キロ

東京都のほぼ中央部にあり、北は国分寺市、東は府中市、西は立川市、南は府中市、南西は多摩川を隔てて日野市に接する。市域は三つのハケ(崖線)と多摩川とに挟まれた三つの平地からなる。もっとも低い低地は多摩川と青柳あおやぎ段丘崖線との間にある沖積地で、次いでその崖線の上に青柳段丘、さらにその上の立川段丘崖線上に立川段丘があり、その上は国分寺崖線となっている。かつての谷保やほ田圃は沖積地に広がっていた。北部にはJR中央本線、中央部にはJR南武線と国道二〇号(甲州街道)、南部には中央自動車道がそれぞれ東西に通る。

〔原始・古代〕

遺跡は立川段丘縁辺と青柳段丘上に集中する。旧石器時代の遺跡にはナイフ形石器終末期の石器群が確認された富士見台ふじみだい三丁目の峰上みねうえ遺跡、ナイフ形石器とともに細石刃核が確認された青柳一丁目の緑川東みどりかわひがし遺跡がある。縄文時代は早期では撚糸文期の無文土器と大量のスタンプ形石器が出土した谷保の下谷保しもやぼ遺跡、沈線文期末の緑川東遺跡がある。中期では合計八〇軒の住居跡と多数の遺物が検出され、顔面把手付土器などでも有名な南養寺なんようじ遺跡がある。同遺跡は環状集落の要素をもった継続性の高い集落で、市域の代表的な遺跡である。谷保の谷保東方やほとうほう遺跡では中期末の柄鏡形敷石住居跡六軒が確認されている。古墳時代では下谷保遺跡で前期五領式期の方形竪穴住居跡六軒が、周囲の下谷保古墳群からは終末期の古墳が七基確認されている。そのうちの一号墳からは石室とともに直刀などが確認されている。また谷保の四軒在家しけんざけ遺跡では九基の後期古墳が確認され、周囲の青柳古墳などと一括して古墳群として認識することができる。律令制下では多磨郡に属し、「和名抄」に記載される小楊おやぎ郷を市域に比定する説がある。南養寺遺跡から発見された住居跡は同時に出土した土師器須恵器・瓦などから、奈良期から平安期の住居跡と推定されている。また仮屋上かりやうえ遺跡からは平安期の竪穴住居跡が発見されている。「天満宮略縁起」には、延喜元年(九〇一)菅原道真が九州大宰府に左遷されたとき、道真の三男三郎道武も武蔵国に配流され、分倍ぶばい栗原くりはら郷の津戸貞盛の館に保護されたとあるが、縁起は後世の成立であり、確証はない。

〔中世〕

中世の市域は古多摩川(現在の矢川流域)の北岸に沿ってその段丘上に西から集落が並び、本宿ほんしゆく(現府中市)から府中に至る交通路(のちの甲州道中)によって連結されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国立市」の意味・わかりやすい解説

国立〔市〕
くにたち

東京都西部にある市。 1967年市制。江戸時代には南部の甲州街道沿いに谷保などの街村が発達。北部は武蔵野の台地でアカマツ雑木林の続く山林であったが,関東大震災後,土地会社が学園都市を計画,1926年国鉄中央線国立駅の開設とともに放射状の道路と長方形の街区を整備した。市名は,国分寺駅と立川駅の中間に開設され,両駅の頭文字をとった国立駅名による。東京商科大学 (現一橋大学) ,東京高等音楽学院 (現国立音楽大学 ) が移転し,文教・住宅都市として発展した。各種研究所も立地。 JR中央線のほか,南武線,国道 20号線 (甲州街道) ,中央自動車道が通り,国立府中インターチェンジがある。面積 8.15km2。人口 7万7130(2020)。

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