国立民衆劇場(読み)こくりつみんしゅうげきじょう(英語表記)Théâtre National Populaire

改訂新版 世界大百科事典 「国立民衆劇場」の意味・わかりやすい解説

国立民衆劇場 (こくりつみんしゅうげきじょう)
Théâtre National Populaire

1920年,パリの旧トロカデロ(現,シャイヨ宮)に創設されたフランスの国立劇場,劇団。略称TNP。初代の責任者はジェミエFirmin Gémier(1865-1933)。しかし,彼の存命中も死後もほとんど有名無実で,この劇場と劇団がその名にふさわしい活動を始めたのは51年,J.ビラールが新統率者に任命されて以来のことである。ビラールは主宰していたアビニョンの野外劇フェスティバルの方式をこの大ホール(座席数約2700)にも適用し,額縁舞台慣習を打ち破り,チップ制を廃止し,観客組織を強化するなどして,ことに50年代,失われた原初演劇の感動を今日の大観衆に分けもたせることに成功した。なお,これにはG.フィリップやM.カザレス名優たちの活躍も大いにあずかっている。シェークスピアコルネイユモリエールクライストなど古典の読み直しと,ブレヒト劇のフランスへの紹介の功が特筆される。しかし,63年ビラールが去ってのちは,後継者ウィルソンGeorges Wilsonらの努力(たとえば裏手に実験小劇場〈ジェミエ・ホール〉の開設)にもかかわらず,時代の変化もあって民衆劇場は低迷し,72年ついにTNPは,リヨン近くビユルバンヌのR.プランション本拠地に移転,ヘッドにP.シェローらを主宰者に加えて集団指導制により再出発した。以来この新TNPは,ビラールの遺志を継承しながらも,バロック的で視覚的な舞台づくりと,ブレヒト+フロイト的作品解釈という彼らの個性を生かして成果をあげている。ここでも,モリエール,ラシーヌマリボーなど,古典の新演出がとりわけきわだつ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国立民衆劇場」の意味・わかりやすい解説

国立民衆劇場
こくりつみんしゅうげきじょう
Théâtre National Populaire; TNP

フランスの国立劇団の一つ。「人民のための劇場」を目指して,1920年国会の承認を受け,創設された。初代監督に名優 F.ジェミエが就任。 33年フールティエが継ぎ,シャイヨー宮を本拠地としたが,以後しばらくの間は,その広大な幕なしの舞台と,定員 2800の客席をもつ大劇場をもてあまし,みるべき活動もなかった。 51年 J.ビラールが監督に就任し,G.フィリップ,M.カザレス,D.ソラノらすぐれた俳優を迎えて付属の劇団を結成,勤労者,学生を中心とする新しい観客層をひきつけ,独特の演出による古典の新解釈と,ブレヒト戯曲のフランス初演など現代劇の積極的上演によって好評を博した。 63年以後 G.ウィルソンが主宰したが,観客数の減少は止められず,72年政府は地方分権化政策の一環として,R.プランションの主宰するリヨン近郊ビルバーヌの市立劇場に TNPの名称を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国立民衆劇場」の意味・わかりやすい解説

国立民衆劇場
こくりつみんしゅうげきじょう

TNP

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世界大百科事典(旧版)内の国立民衆劇場の言及

【民衆演劇】より

… それはともかくとして,歴史的に見ると,ドイツでは古くは1870~80年代の〈マイニンゲン一座〉の巡業活動,19世紀末のO.ブラームの〈自由舞台〉,そしてそれに刺激されて誕生した観客組織〈民衆劇場〉,そして第2次大戦後ではB.ブレヒトと〈ベルリーナー・アンサンブル〉の仕事などが民衆演劇の動きとして注目されるし,フランスでは19世紀末のA.アントアーヌと〈自由劇場〉,ロマン・ロランの《民衆演劇論》(1900)の提唱,そして両大戦間のJ.コポーC.デュランの舞台造形などが,民衆演劇の動きとして特筆されよう。しかし〈民衆演劇〉というと,現代におけるその言葉自体の固有名詞的な記憶としては,何といっても第2次大戦後の1950年代,南フランスのアビニョンと,パリの〈国立民衆劇場Théâtre National Populaire〉(略称TNP(テーエヌペー))を舞台に活躍したJ.ビラールの業績をあげなければならない。彼は古典を主としていたが,それをフレッシュな新演出により,また芸術的純度を落とさずに上演して,大観衆を舞台に引き付けることに成功した。…

【国立劇場】より

… ところが,近・現代に登場した比較的新しい国立劇場になると,今ふれた革新の具現化のような場合もあって,概して開場の動機や成り立ちや仕事ぶりなど全体のトーンが,旧来の国立劇場とは異なる。ロシアの〈モスクワ芸術座〉や,旧東ドイツの〈ベルリーナー・アンサンブル〉や,フランスの〈国立民衆劇場〉(略称TNP)や,イギリスの〈ナショナル・シアター〉(略称NT)などがその好例である。 まず〈モスクワ芸術座〉は,19世紀末,マンネリ,商業主義,大芝居化していた当時の演劇界の大勢に抗して,リアルで純正な,演劇ならではの手ごたえをという革新の願いから革命翌年の1918年に生まれたもので,この事情は同時代のドイツの〈マイニンゲン一座〉や,フランスその他での〈自由劇場〉運動と軌を一にしている。…

【ジェミエ】より

…この間,1907年から14年までアントアーヌ座を主宰し,11年には37台の貨車によって劇場ごと移動する〈国立巡業劇団〉を結成して,演劇の地方分散に先鞭をつける。20年にG.バティの協力を得て,既成の劇場の枠を取り払った祭典的なマスの演劇をサーカス小屋で試み,同時に〈国立民衆劇場〉の設立を議会に承認させる。21年から30年までオデオン座の劇場長として幅広い演目によってこの国立第二劇場の若返りをはかり,晩年には世界演劇協会とその主催による国際演劇祭を構想した。…

【フィリップ】より

…その後クリスティアン・ジャック監督《パルムの僧院》(1948),《花咲ける騎士道》(1952),ルネ・クレール監督《悪魔の美しさ》(1950),《夜ごとの美女》(1952),マルセル・カルネ監督《愛人ジュリエット》(1951),ルネ・クレマン監督《しのび逢い》(1954),クロード・オータン・ララ監督《赤と黒》(1954),ジャック・ベッケル監督《モンパルナスの灯》(1957),ロジェ・バディム監督《危険な関係》(1959)などに出演し,洗練された洒脱な演技と個性の魅力で圧倒的な人気を集めた。1951年以降はジャン・ビラール主宰の国立民衆劇場(TNP(テーエヌペー))に属して演劇に情熱をそそぎ,《エル・シド》《ハンブルグの王子》《ロレンザッチオ》などの名舞台を演じ,またハウプトマンの叙事詩を映画化した《ティル・オイレンシュピーゲルの冒険》(1956)を記録映画作家ヨリス・イベンスと共同監督している。しかし,ブニュエル監督《熱狂はエル・パオに達す》(1959)に出演したのを最後に心臓発作のため36歳で急死した。…

【民衆演劇】より

… それはともかくとして,歴史的に見ると,ドイツでは古くは1870~80年代の〈マイニンゲン一座〉の巡業活動,19世紀末のO.ブラームの〈自由舞台〉,そしてそれに刺激されて誕生した観客組織〈民衆劇場〉,そして第2次大戦後ではB.ブレヒトと〈ベルリーナー・アンサンブル〉の仕事などが民衆演劇の動きとして注目されるし,フランスでは19世紀末のA.アントアーヌと〈自由劇場〉,ロマン・ロランの《民衆演劇論》(1900)の提唱,そして両大戦間のJ.コポーC.デュランの舞台造形などが,民衆演劇の動きとして特筆されよう。しかし〈民衆演劇〉というと,現代におけるその言葉自体の固有名詞的な記憶としては,何といっても第2次大戦後の1950年代,南フランスのアビニョンと,パリの〈国立民衆劇場Théâtre National Populaire〉(略称TNP(テーエヌペー))を舞台に活躍したJ.ビラールの業績をあげなければならない。彼は古典を主としていたが,それをフレッシュな新演出により,また芸術的純度を落とさずに上演して,大観衆を舞台に引き付けることに成功した。…

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