国葬(読み)こくそう

精選版 日本国語大辞典 「国葬」の意味・読み・例文・類語

こく‐そう ‥サウ【国葬】

〘名〙 国家に功労のあった人の死去に際し、国の大典として国費で行なう葬儀。
勅令第一四号‐明治二四年(1891)二月一九日(法令全書)「内大臣正一位大勲位公爵三条実美薨去に付特に国葬を行ふ」

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デジタル大辞泉 「国葬」の意味・読み・例文・類語

こく‐そう〔‐サウ〕【国葬】

国家に功労のあった人の死去に際し、国家の儀式として国費で行う葬儀。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国葬」の意味・わかりやすい解説

国葬
こくそう

国が国家の儀式として、国費で行う葬儀。第二次世界大戦前には、1926年(大正15)に従来の先例・慣例を法制化して国葬令が制定され、国葬は、法定上行われるものと、特旨によるものの2種とされた。前者は、天皇、太皇太后皇太后、皇后の大喪儀と、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、摂政(せっしょう)たる親王、内親王、王、女王の喪儀(7歳未満の皇太子、皇太孫の死去は除く)である。特旨によるものは、国家に大きな功労のあった者と、死に際してとくに勅旨のあった者の葬儀で、皇族も含まれていた。国葬当日は廃朝(天皇が政務をとらないこと)で、官庁と学校は休み、歌舞音曲は停止または遠慮し、全国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされた。国葬は神道(しんとう)式で行われ、葬儀の事務は国の機関が担当した。第二次世界大戦前、特旨により国葬が行われた者は、1878年(明治11)の大久保利通(としみち)の準国葬以後、次の皇族8名、一般人12名である。岩倉具視(ともみ)(1883)、島津久光(ひさみつ)(1887)、三条実美(さねとみ)(1891)、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)(1895)、北白川宮能久(よしひさ)親王(1895)、毛利元徳(もとのり)(1896)、島津忠義(1897)、小松宮彰仁(あきひと)親王(1903)、伊藤博文(ひろぶみ)(1909)、有栖川宮威仁(たけひと)親王(1913)、大山巌(いわお)(1916)、徳寿宮李太王煕(とくじゅのみやりたいおうき)(1919)、山県有朋(やまがたありとも)(1922)、伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王(1923)、松方正義(まさよし)(1924)、昌徳宮李王(しょうとくのみやりおうせき)(1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1940)、山本五十六(いそろく)(1943)、閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王(1945)。

 第二次世界大戦後は、「皇室典範」で天皇の大喪の礼を定めている以外は、国葬の明文規定はないが、1967年(昭和42)10月20日、元首相吉田茂の死去に際して、臨時閣議の決定によって、10月31日、日本武道館で戦後最初の国葬が行われた。また元首相安倍晋三(あべしんぞう)死去の際も国葬が閣議決定され、2022年(令和4)9月27日に日本武道館で行われた。なお、昭和天皇崩御に伴う大喪の礼は、国事行為として、1989年(平成1)2月24日に新宿御苑で執り行われている。

[村上重良]

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改訂新版 世界大百科事典 「国葬」の意味・わかりやすい解説

国葬 (こくそう)

国の大典として行われる葬儀。国葬の事務は国の機関で行われ,その経費は国庫から支払われる。日本では,それまでは先例にならってなされてきたが,1926年の〈国葬令〉によってはじめて規定された(1947年失効)。国葬令では天皇・太皇太后・皇太后・皇后の〈大喪儀〉や皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃および摂政たる皇族の〈喪儀〉はすべて国葬であり(ただし,皇太子・皇太孫が7歳未満の場合を除く),また,国家に功労のあった者(皇族も含む)に対しては特旨をもって国葬とされた。大喪儀,喪儀の期日・場所は宮内大臣と内閣総理大臣の連署をもって公告され,特旨の場合には内閣総理大臣が公告した。また,天皇崩御のときには当日および翌日から5日間,それ以外のとき(特旨の場合を除く)には当日および翌日から3日間,ならびに大喪儀,喪儀当日は廃朝とされた。現行憲法ではとくに規定されていないが,皇室典範25条〈大喪の礼〉はこれにあたる。なお,1967年10月31日吉田茂に対し第2次大戦後初の国葬がなされたが,これは閣議決定によるものである。また,〈国民葬〉の例として,大隈重信(1922)と佐藤栄作(1975)がある。大隈の場合には純然たる民間葬であったが,佐藤の場合には費用のほとんどが政府によって支払われた。なお,特旨によって国葬が行われた者に,岩倉具視(1883),島津久光(1887),三条実美(1891),有栖川宮熾仁親王(1895),北白川宮能久親王(1895),毛利元徳(1896),島津忠義(1897),小松宮彰仁親王(1903),伊藤博文(1909),有栖川宮威仁親王(1913),大山巌(1916),徳寿宮李太王煕(1919),山県有朋(1922),伏見宮貞愛親王(1923),松方正義(1924),昌徳王李王坧(1926),東郷平八郎(1934),西園寺公望(1940),山本五十六(1943),閑院宮載仁親王(1945)の20名がいる。
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百科事典マイペディア 「国葬」の意味・わかりやすい解説

国葬【こくそう】

国の儀式として国費で行われる葬儀。日本では国葬令(1926年)に基づいて〈大喪(たいそう)儀〉(天皇・皇后・皇太后・太皇太后の葬儀),皇太子,同妃,皇太孫,同妃,摂政たる皇族の〈喪儀〉および特に国に偉勲のあった者の葬儀について行われた。現行皇室典範では大喪の礼が天皇について行われることを定めるが,国葬令は1947年末に失効。なお1967年吉田茂死去の際には閣議決定により国葬が行われた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国葬」の意味・わかりやすい解説

国葬
こくそう

国家を喪主として国費で行なわれる葬儀。古来,天皇の崩御などの場合,大喪が発せられる慣習があったが,特に国葬の名は明治以降正式に使用された。最初は右大臣岩倉具視の死に際して 1883年に挙行され,以後,伊藤博文ら元勲的存在であった政治家の死に際して,臣下であっても国葬を賜る例がつくられた。国葬令は 1926年に制定され,その対象として,天皇,皇后,太皇太后,皇太后,皇太子,同妃,皇太孫,同妃,摂政の地位にある皇男女子,国家に大功のあった人,特にその死に際して勅旨のあった人と規定されたが,1947年の日本国憲法の施行に伴い,国の宗教活動が禁止されたため失効した。第2次世界大戦後は閣議決定に基づいて営まれている。

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