国見山
くにみやま
[現在地名]能代市久喜沢
東雲台地の東端、藤切台と久喜沢川に挟まれている。北に石川村(現山本郡峰浜村)、東に常盤山、西に十二ヵ村野の入会地が続く。
享保二〇年(一七三五)の国見山入会被仰渡(内荒巻部落文書)に「久喜沢村之内国見山薪稲懸杭かや入会ニ有之候処、及争論申出候趣遂吟味候処入会ニ相見得候ニ付、久喜沢村肝煎ニ申渡、向後異乱不申筈ニ為此旨可被相心得候、併かやト不成以前ニ苅り不申様、兼々下々申渡可差置候」とある。
国見山
くにみやま
長岡郡本山町と香美郡土佐山田町の境界にそびえる標高一〇八九・一メートルの山。四国山地を形成する、徳島県西部の剣山(一九五五メートル)から南西に延びる剣山系の一角をなし、吉野川の支流穴内川・木能津川・樫ノ川の分水嶺となっている。
「土佐州郡志」は「自土佐郡之森郷樫山東接高山、其南上倉之穴内村也、峯上有本山至高知大路、其南北相下各一里、峯上南望見南海及足摺御崎東寺御崎、北則本山豊永森本川諸峯巒無所不見矣、故名歟」と記す。
国見山
くにみやま
葦北郡芦北町と水俣市、球磨郡球磨村の境界をなす大関山山系の一つで、標高八六七メートル。大関山山頂から峰続きに原生林中を約一キロ東方へ行くと、そそり立つ岩山に突当たる。国見山の山頂は幅六メートル、長さ約三〇メートルの平坦地となり、かつて狼煙台があった所と思われるが、現在は樹木が茂り眺望はきかない。
国見山
くにみやま
久慈山系の南端にあり、常陸太田市街地の北方四キロにそびえる。標高二九一・六メートル。
「水府志料」に「堀の内より上る事十九町ほどにあり。むかし奥州勢此山に登り宿陣の時、高山也といへども、古郷を望み見るに見へずと云し事ありて、国見山と名付けしよし。又奥州勢此山に陣取しもの皆討れ、再び国を見ざりしゆへ名付たりといふ。里俗の説の如くなれば、国見ず山と名付しを、後に国見山と改しものならんか。此山に登りて南望すれば、数十里の間一山なし。
国見山
くにみやま
室生村と曾爾村の境界、住塚山(一〇〇九・四メートル)の北東に続く、標高約一〇一〇メートル。室生川の上流宇野川の源にあたる。「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午八年八月条の大和平定の物語の中に、国見丘に住む八十梟帥を撃ったとあるのは、この国見山と伝承。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報