土川平兵衛(読み)つちかわへいべえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「土川平兵衛」の意味・わかりやすい解説

土川平兵衛
つちかわへいべえ
(1801―1843)

江戸時代、天保(てんぽう)期の義民。近江(おうみ)国野洲(やす)郡三上(みかみ)村(滋賀県野洲市)の神戸(かんべ)の生まれで、幕領三上村庄屋(しょうや)を勤めた。1842年(天保13)、天領検地増石をねらって、幕府勘定方市野茂三郎らが出向いたとき、野洲、甲賀(こうか)、栗太(くりた)の3郡の百姓約1万余人が一揆(いっき)を起こして検地を阻止した。これを三上騒動または甲賀一揆というが、平兵衛はその首謀者の1人として江戸で獄死。のち「平兵衛大明神」と尊敬された。三上山麓(さんろく)に記念碑がある。

[横山十四男]

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朝日日本歴史人物事典 「土川平兵衛」の解説

土川平兵衛

没年:天保14.4.25(1843.5.24)
生年享和1(1801)
江戸後期の近江国(滋賀県)三上村庄屋。平兵衛とイシの子。天保13(1842)年に近江国甲賀・野洲・栗太郡に発生した検地反対一揆(三上騒動)の指導者のひとり。空地,新開場見分を目的としたこの検地は,幕府天保改革の一環として強行された。平兵衛はほかの庄屋たちと肥料値段対策を名目とした会合をもって一揆を準備した。一揆は三上村で検地役人幕府勘定方市野茂三郎へ強訴し,検地10万日延期の証文を受け取って解散した。一揆後発頭人として獄門とされたが,江戸で牢死した。杉谷村の西浦九兵衛や市原村の田島治兵衛らと共に,天保義民として明治20(1887)年ごろから盛んに顕彰され今日に至っている。

(保坂智)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土川平兵衛」の解説

土川平兵衛 つちかわ-へいべえ

1801-1843 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
享和元年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)三上村の庄屋。天保(てんぽう)13年幕府が検地のため勘定方市野茂三郎を派遣した際,田島治兵衛らとともに甲賀,野洲,栗太3郡の4万名ともいわれる農民を指揮して強訴,市野から検地10万日延期の証文をかちとった(三上山騒動)。捕らえられて天保14年4月15/25日獄死。43歳。

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