出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
茨城県南部の市。2006年2月旧土浦市が新治(にいはり)村を編入して成立した。人口14万3839(2010)。
土浦市中東部の旧市。1940年市制。人口13万5058(2005)。霞ヶ浦の土浦入に臨む桜川の沖積低地と周辺の台地を占める。中世には今泉氏,菅谷氏らが居城した地で,近世に入って土浦藩が置かれ,城下は中城・東崎両町に分けられた。水戸街道の宿駅でもあり,本町には2軒の本陣が置かれ,田宿町,大町などには旅籠(はたご)があって,大町では市も開かれた。霞ヶ浦に面した川口町には土浦河岸がつくられ,米や大豆などを江戸に運び,塩,酒,小間物などを帰り荷とする高瀬舟の出入りでにぎわった。また銚子,野田に先だってしょうゆ醸造業が発達した。土屋氏(9万5000石)が城主のとき明治維新をむかえ,一時土浦県,新治県の県庁が置かれた。茨城県編入後は県南の中心となった。桜川はたびたびはんらんしたが,1896年の日本鉄道(現,JR常磐線)の開通後は鉄道の築堤が水防の役割を果たしている。1920年隣接の阿見町に海軍航空隊が設置されてからは軍都の性格をもった。第2次大戦後市勢は衰退したが,82年常磐自動車道が開通し,現在は機械,セメントなどの工業団地の造成,土浦港の改修,大型小売店の進出などで内陸工業都市,商業都市として発展している。筑波研究学園都市の玄関でもあり,土浦城跡は亀城(きじよう)公園となっている。10月に開催される全国花火大会は日本三大花火として有名。
執筆者:中川 浩一+白川部 達夫
土浦市北西部の旧村。旧新治郡所属。人口9002(2005)。筑波山に続く山地と霞ヶ浦に注ぐ桜川の低地,両者に囲まれた台地からなる。江戸時代には灯心用のイグサの産地として知られた。低地では米作,台地では野菜,果樹の栽培が行われ,特に栗を多産する。筑波山麓では建設用石材が採掘される。国道125号線が通じる。室町時代初期創建の法雲寺がある。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新