地【び】荘(読み)じびのしょう

百科事典マイペディア 「地【び】荘」の意味・わかりやすい解説

地【び】荘【じびのしょう】

備後国恵蘇(えそ)郡のほぼ全域を占めた荘園。現広島県庄原市北部から比婆(ひば)郡西部にわたる。領家(りょうけ)は山城高山寺・千光寺・蓮華王院であったが,立荘の事情や年次などは不明。鎌倉時代,相模(さがみ)国の山内首藤氏に地頭職が与えられると,同氏は庶子家を現地に送り込んで荘内各地に分置,1316年には関東の惣領家が移住した。1330年所領の細分化を避けるため単独相続とし,南北朝の動乱期には何かと対立していた一族分立を押えて戦乱を勝ち残るため一族一揆を結び,備後国人(こくじん)衆の筆頭にまで成長した。山内氏が中世末期まで拠っていた甲山(こうやま)城(現庄原市)近辺には市のつく地名が残り,商業活動も行われていたようである。山内氏は地【び】荘入部に際して鎌倉鶴岡八幡宮を勧請し,荘内各地に八幡宮を造立,信仰面でも荘民の把握に努めた。

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