地方結社(読み)ちほうけっしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「地方結社」の意味・わかりやすい解説

地方結社 (ちほうけっしゃ)

明治初期に各地方各地域で多様な目的のもとに結成された諸団体。各地の士族や豪農・知識人らは,新知識・新思想の学習,相互扶助,生活・産業の改良,地方自治や国政参加の要求を含む政治運動などさまざまな目的のもとに,従来の地縁的・血縁的集団をこえた自発的な結社を組織した。これらは,1870年代半ばから80年代にかけての諸改革・文明開化殖産興業といった社会変動の時期における国民の積極的対応であり,とくに自由民権運動の組織的基盤を提供した。広範な地域に,多様で大量の結社がつくられたことがこの時期の特徴であり,全国の結社数を確定することは困難であるが,現在知られている社が500~600,比較的調査の進んだ神奈川県(三多摩地方を含む)では100社を数え,茨城,栃木県などでも50社を超えることが知られるから,全国では1000社をはるかに超える結社の存在が推定できる。

 結社の種類は,その構成員からすれば士族結社豪農結社(青年や知識人を含む),都市結社(都市知識人を中心とする)などの種類があり,その目的からすれば学習結社,産業結社,政治結社(おもに民権結社)などの区別が可能であるが,目的は流動的であり複合的であることがむしろ一般的で,国民の文化的・経済的・政治的欲求の多様性未分化な状況を反映していた。結社の規模も町村単位,数ヵ町村単位,郡単位,数郡単位から府県単位にいたる多様な地域規模の結社が存在した。

 士族結社として著名なものに,弘前の東奥義塾(1872年キリスト教主義による学校として出発,本多庸一らが著名),盛岡の求我舎(1873年創設,東北最初の民権政社,鈴木舎定ら),宮津の天橋義塾(1875年創設,小室信介・沢辺正修らが中心,社員約400),高知の立志社(1874年創設,自由民権運動の震源地,板垣退助片岡健吉・植木枝盛ら),熊本の相愛社(1878年創設,池松豊記・有馬源内ら,社員580余)などがあるが,これらはおおむね旧藩時代の結合を土台とし,士族の新時代への適応のための相互扶助と学習活動を目的として,ときには旧藩主の支持と支援のもとに結成され,しだいに民権や国権の拡張を唱える政治結社の色彩を強めていった。士族結社は旧藩士としての情誼(じようぎ)的地縁的な紐帯(ちゆうたい)を背景としたから,その結合は固かったが,同時に他の階層を含みにくい閉鎖性を伴った。士族を中心とする西南地域の諸結社は,1878年に連合政社としての愛国社を再興し,79年に国会期成同盟に再編成されるまで,全国的な国会開設運動の推進力となった。

 一方,いわゆる豪農結社は,豪農や豪商などの在地の有力者の支持を背景として結成され,富裕な農民の子弟や教員,記者などの知識人を加えた比較的開放的な構成をとることが多い。著名なものに福島県石川の石陽社(1875年創設,河野広中・吉田光一ら,社員約200),三春の三師社(1878年創設,河野広中・田母野秀顕ら,社員約100,石陽社とともに東日本民権運動に先駆的役割を果たす),南多摩郡原町田の融貫社(1881年創設,石坂昌孝ら,社員150~300),西多摩郡五日市の学芸講談会(1880年以前,内山安兵衛・深沢権八らが中心,いわゆる五日市憲法草案の背景として知られる),松本の奨匡社(1880年創設,松沢求策・上条螘司・市川量造ら,社員1200余),福井県坂井郡の自郷学舎・自郷社(1879年創設,杉田定一が中心,社員115)などがある。これらの豪農結社は,士族の民権運動に対して,在地的農村的な民権運動を結集し,運動全体の性格を変えていくうえに主導的な役割を果たした。量的にも全国結社の大多数を占め,また府県会などにも新しい地歩を築いていったから,ほぼ1880年前後を境として運動の優勢な基盤を構成するようになった。これら在地の結社は,その成立の経緯や目的はさまざまであるが,一般的には学習結社として出発し,やがて政治結社としての性格や産業結社としての性格などを兼ね合わせていく傾向があった。時勢に応じて政治的色彩や経済的色彩を強める場合があり,政治化の契機も地方政治のあり方や地租改正への不満,対外従属への憤りなどさまざまなものがあった。

 最後に,都市結社は厳密には地方結社と異なるが,都市を中心としながら地方への広がりをもったものも多い。慶応義塾関係者が結成した社交団体である交詢社(1880年創立,福沢諭吉矢野文雄(竜渓)・小幡篤次郎ら,創立時会員1800余)や《東京横浜毎日新聞》を拠点として関東一円から東北地方南部にまで支社の網をはった嚶鳴社(おうめいしや)(1873年法律講習会として創立,沼間守一・肥塚竜・島田三郎ら,社員1000余)は,当時最大の知識人集団であり,地方政治運動の喚起に大きな力をもった。このほか留学帰朝者が組織した共存同衆(1874年創立,小野梓馬場辰猪ら)や,中江兆民の仏学塾(1874年創立)は民権思想の普及に貢献した。また1881年に結成された国友会末広重恭・馬場辰猪・大石正巳ら)や鷗渡会(小野梓・高田早苗ら),82年に慶応義塾関係者の組織した東洋議政会(矢野文雄・藤田茂吉・犬養毅ら,《郵便報知新聞》による)などは政府と民権派の対立激化の時期の産物であり,士族的・豪農的諸結社や嚶鳴社とともに政党自由党,立憲改進党)結成の直接の基盤となった。

比較的著名な地方結社を羅列すると以下のとおりである。

 秋田立志社(秋田,柴田浅五郎ら),北羽連合会(秋田,山本庄司ら),尽性社(酒田,森藤右衛門ら),東英社(山形,重野謙次郎ら),特振社(山形,佐藤里治ら),本立社(仙台,若生精一郎・村松亀一郎ら),鶴鳴社(仙台,首藤陸三ら),愛身社(会津喜多方,安瀬敬三・宇田成一ら),北辰社(相馬,愛沢寧堅・刈宿仲衛ら),同舟社(茨城県豊田郡,野手一郎・森隆介ら),中節社(栃木県安蘇郡,田中正造ら),下毛有志共同会(栃木,新井章吾・塩田奥造ら),有信社(高崎,宮部襄・長坂八郎ら),通見社(羽生,堀越寛介ら),七名社(熊谷,石阪金一郎ら),以文会(千葉県夷隅郡,君塚省三ら),明十社(新潟,鈴木昌司ら),越佐共致会(新潟,山際七司ら),北光社(高岡,稲垣示ら),盈進社(金沢,遠藤秀景ら),共立社(金沢,岡崎平内ら),静陵社(静岡,前島豊太郎ら),扶桑社(藤枝,益田郁太郎ら),三河交親社(愛知県碧海郡・春日井郡,内藤魯一ら),愛国交親社(名古屋,庄林一正ら),実学社(和歌山県那賀郡,児玉仲児ら),自治社(兵庫県多紀郡,法貴発ら),実行社(岡山,小林樟雄ら),郷党親睦会(岡山,忍峡稜威兄ら),立志社(広島,山田十畝ら),共立社(鳥取,坪内正暁ら),共斃社(鳥取,足立長郷ら),尚志社(松江,野口敬典ら),松山公共社(松山,宮本積徳ら),合立社(高知,林包明ら),岳洋社(高知,坂本直寛ら),正倫社(福岡,箱田六輔ら),筑前共愛会(福岡,平岡浩太郎ら),合一社(大分,杉生一郎ら),紫溟会(熊本,佐々友房ら),三州社(鹿児島,河野主一郎ら)。
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