坂上是則(読み)さかのうえのこれのり

精選版 日本国語大辞典 「坂上是則」の意味・読み・例文・類語

さかのうえ‐の‐これのり【坂上是則】

平安前期の歌人三十六歌仙一人。田村麻呂の子孫で、望城(もちき)の父。従五位下加賀介に至る。宇多院の大井川行幸に供奉。「亭子院歌合」などに出詠。蹴鞠名手でもあった。歌は「古今和歌集以下に見える。家集に「是則集」がある。生没年未詳。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「坂上是則」の意味・読み・例文・類語

さかのうえ‐の‐これのり〔さかのうへ‐〕【坂上是則】

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。坂上田村麻呂の4代の孫。望城もちきの父。家集に「是則集」がある。生没年未詳。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「坂上是則」の意味・わかりやすい解説

坂上是則 (さかのうえのこれのり)

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。《西宮記(さいきゆうき)》によれば蹴鞠の名人。坂上田村麻呂の子孫で《後撰集》撰者望城(もちき)の父。908年(延喜8)大和権少掾に任ぜられ,のち924年(延長2)従五位下加賀介に至る。《古今集》以下の勅撰集に35首,家集に《是則集》がある。908年以後の地方官勤務が作風に影響しているらしく,大和地方の自然を確実に観察してうたった〈佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな〉(《古今集》巻五)などの秀歌がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「坂上是則」の解説

坂上是則

生年:生没年不詳
平安時代の歌人。坂上田村麻呂の子孫,好蔭の子。大和権少掾,少監物,中監物,少内記,大内記,加賀介などを歴任。従五位下に至る。延喜1(901)年の紀師匠曲水宴和歌や同5年の右大将定国四十賀屏風歌に紀貫之,凡河内躬恒らと共に詠進して歌壇にデビュー。『古今集』には新進歌人として8首の入集をみた。その後も,同7年の『大井河行幸和歌』や同13年の亭子院歌合に出詠するなど活躍。家集に『是則集』がある。のちに三十六歌仙に選ばれるなど後世の評価も高く代表作「あさぼらけ有明の月とみるまでによしのの里にふれる白雪」が百人一首にとられている。<参考文献>徳原茂実「是則」(『一冊の講座古今和歌集』)

(田中登)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂上是則」の意味・わかりやすい解説

坂上是則
さかのうえのこれのり

生没年不詳。平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。908年(延喜8)大和権少掾(やまとごんのしょうじょう)、以後、大和権掾、少監物(しょうけんもつ)、少内記、大内記を経て、924年(延長2)従(じゅ)五位下加賀介(かがのすけ)。907年の宇多(うだ)法皇大井川御幸のおりには9題9首を献じ、913年の「亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)」に出詠。『古今集』以下に39首の歌を残す。歌風は理知的ななかに、なお実際の自然を離れぬ余情がある。

 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
[菊地靖彦]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂上是則」の解説

坂上是則 さかのうえの-これのり

?-930 平安時代中期の官吏,歌人。
坂上好蔭(よしかげ)の子。坂上望城(もちき)の父。大和権少掾(ごんのしょうじょう),大内記などをへて,延長2年加賀介。三十六歌仙のひとり。「古今和歌集」などの勅撰集に約40首おさめられている。蹴鞠(けまり)の名手でもあった。延長8年死去。家集に「是則集」。
【格言など】朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪(「小倉百人一首」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android