朝日日本歴史人物事典 「坂東彦三郎(初代)」の解説
坂東彦三郎(初代)
生年:元禄6(1693)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名薪水。屋号万屋。大坂の立役篠塚次郎左衛門の甥とも,「山城伏見の武士の子」とも,「相州足柄下郡江浦の生まれ」ともいう。初め江戸で子役の修業をし,宝永3(1706)年,坂東菊松の名で大坂での初舞台を踏む。同4年,元服して彦三郎と改名,立役として上方の舞台を勤めた。享保12(1727)年から都合3回江戸に下り,凜々しい身のこなしと堅い芸風で好評を得て,2代目市川団十郎,初代沢村宗十郎,初代大谷広次らと四天王と並び称された。小柄ながらも容姿にすぐれ,口跡もよく,実事,武道事を得意とした。2代目彦三郎は彼の息子だが,28歳で早世した。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『古今役者大全』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報