朝日日本歴史人物事典 「坂東彦三郎(3代)」の解説
坂東彦三郎(3代)
生年:宝暦4(1754)
江戸中・後期の歌舞伎役者。俳名橘子・薪水。別号楽善坊,半草庵。屋号万屋,音羽屋。8代目市村羽左衛門の3男。宝暦8(1758)年市村座の若太夫として名がみえ,翌9年子役で初舞台。明和7(1770)年市村座で3代目彦三郎を襲名し,若衆形を勤める。安永8(1811)年元服して立役となる。師の初代尾上菊五郎の面影があり,和実,所作事を得意とした。文化8(1811)年に江戸で,同10年に大坂,京都で一世一代を演じて引退。そのまま京都黒谷で剃髪して江戸に帰り,半草庵楽善と号して本所原庭に隠居して余生を送った。書画,俳諧,茶道を嗜む風流人であった。<参考文献>『作者年中行事』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
(加藤敦子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報