坂西由蔵(読み)さかにしよしぞう

改訂新版 世界大百科事典 「坂西由蔵」の意味・わかりやすい解説

坂西由蔵 (さかにしよしぞう)
生没年:1877-1942(明治10-昭和17)

経済学者,経済史家。兵庫県城崎に生まれる。東京高商(現,一橋大)卒後,同校専攻部に進み福田徳三指導を受ける。1904年卒業,神戸高商講師となり06年教授。07-10年ドイツ,イギリス,アメリカに留学,おもにブレンターノ師事。留学前には商業学を,帰国後は商業史(のち経済史),経済通論を講じ,研究指導にあたる。25年眼疾から失明して教授職を退き,引き続き同校(のち神戸商大)講師として残った。主著《経済生活の歴史的考察》(1925)は,基本的には歴史学派経済学の系統に立って経済生活発達の過程と経済自由の精神や古代ローマ,中世ドイツの大土地制度を論じた21編の論考を集めたものである。また西洋経済史についての講義体系を示すものに《西洋経済史講義要目》(1914)がある。経済生活を歴史的に考察することが基調であった。《国民経済雑誌》の編集にあたり,調査研究を提唱,奨励したが,これは神戸大学経済経営研究所へ発展している。
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朝日日本歴史人物事典 「坂西由蔵」の解説

坂西由蔵

没年:昭和17.5.27(1942)
生年:明治10.12.4(1877)
明治大正昭和期の経済学者。兵庫県城崎町に生まれる。京都商業,東京の市立商工中学および東京高等商業学校(一橋大学)を経て,明治37(1904)年同専攻部を卒業。同年神戸高等商業学校(神戸大学)講師となり,39年教授に昇任経済学博士。企業論および経済史に関する著書・論文が多く,福田徳三門下の白眉と称され,ドイツ留学中はブレンターノに師事し,経済原論と経済史の講義を担当した。不幸にして大正10(1921)年右眼を病み,13年には左眼も失明,翌14年には退職したが,その後も講師として昭和12(1937)年ごろまで教壇に立ちゼミ学生の指導も行い,その名講義は多くの学生に深い感銘を与えた。

(新野幸次郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂西由蔵」の解説

坂西由蔵 さかにし-よしぞう

1877-1942 明治-昭和時代前期の経済学者。
明治10年12月4日生まれ。東京高商(現一橋大)を卒業,同校専攻部で福田徳三の指導をうける。明治39年神戸高商教授。欧米に留学し,おもにブレンターノにまなぶ。帰国後,経済史,経済原論を講義。大正14年失明のため教授をやめたが,講義はつづけた。昭和17年5月27日死去。66歳。兵庫県出身。著作に「経済生活の歴史的考察」など。

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