基山(読み)きざん

日本歴史地名大系 「基山」の解説

基山
きざん

佐賀・福岡県境を東に九千部くせんぶ(八四八メートル)権現ごんげん(六二六メートル)ちぎり(四一二メートル)標高を下げて二日市ふつかいち狭隘部に臨む背振せふり山支脈の末端近くにある一峰で、三養基郡基山町と福岡県筑紫野市にまたがる。県境に北峰(四一六メートル)があるが、通常は西峰(四〇五メートル)を基山とよぶ。谷口を挟んで東峰(三二六メートル)があり、この三峰を結ぶ環状稜線内の凹地天智天皇四年に築かれた朝鮮式山城の「椽城きのき(基肄城)の城内である。

肥前風土記」に「基肄之山」とあり、そのほか城山木山などさまざまに書かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「基山」の意味・わかりやすい解説

基山[町] (きやま)

佐賀県最東端,三養基(みやき)郡の町。人口1万7837(2010)。東・西・北の三方は福岡県,南は鳥栖(とす)市に接する。北西部は脊振山地の東端に属し,南東部は筑後川中流の平野に連なる。古くからの軍事・交通の要衝で,北部にある基山の山頂には,7世紀に大宰府の南の防備として築かれた朝鮮式山城の基肄(きい)城があり,特別史跡に指定されている。古代には基肄駅,基肄軍団が置かれ,江戸時代は対馬藩領で薬の製造と行商が盛んであった。米作を中心とし果樹栽培,肥育牛などを行う農業が主産業であったが,近年,南部の工業団地を中心に工業が盛んになり,製造品出荷額も県内有数の地位を占めるようになった。ツツジの名所として知られる大興善寺などの古刹(こさつ)が多い。JR鹿児島本線,国道3号線などが通り,九州横断自動車道の鳥栖インターチェンジに近く,最近は宅地開発が進んで人口が増加している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「基山」の意味・わかりやすい解説

基山
きざん

佐賀県東端の三養基(みやき)郡基山町(きやまちょう)と、福岡県筑紫野市(ちくしのし)にまたがる花崗(かこう)岩の山。標高404.5メートル。脊振山地(せふりさんち)東端にある。『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』には「基肄之山(きのやま)」とあり、明治中期ごろまでは坊住山(ぼうじゅやま)などともよばれていた。村名を基山としてから「きざん」の呼び名が一般化する。北、西、東峰の3峰などからなり、西峰(404.5メートル)を一般に基山とよぶ。この3峰を結ぶ稜線(りょうせん)内窪地(くぼち)一帯には、7世紀に大宰府(だざいふ)防衛のために朝鮮式山城(やまじろ)の基肄城(きいじょう)(椽城(きのき))が築かれ、その城跡は特別史跡。『万葉集』にも「記夷の城(きのき)」に登り望遊したときの歌が残る。一帯は脊振北山(ほくざん)県立自然公園(佐賀県)で、山頂から筑紫(つくし)平野を望む眺めは雄大、草スキーでも知られる。

[川崎 茂]

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