塚本邦雄(読み)ツカモトクニオ

デジタル大辞泉 「塚本邦雄」の意味・読み・例文・類語

つかもと‐くにお〔‐くにを〕【塚本邦雄】

[1922~2005]歌人滋賀の生まれ。前川佐美雄師事。前衛短歌運動の旗手として活躍した。「日本人霊歌」で現代歌人協会賞、「不変律」で迢空ちょうくう賞、「魔王ほかで現代短歌大賞。歌集水葬物語」「水銀伝説」、評論に「定家百首」「茂吉秀歌」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「塚本邦雄」の意味・わかりやすい解説

塚本邦雄
つかもとくにお
(1920―2005)

歌人。滋賀県生まれ。神崎商業学校卒業。『水葬物語』(1952)、『装飾楽句(カデンツア)』(1956)、『日本人霊歌』(1958。現代歌人協会賞受賞)、『緑色研究』(1965)、『感幻楽』(1969)を経て、『約翰伝偽書(ヨハネでんぎしょ)』(2001)に至る24冊の歌集を刊行。喩(ゆ)とイメージを武器として危機時代の人間の魂を呼び覚ます高度に美学的な手法を完成。とくに第17歌集『波瀾(はらん)』(1989)以後、顕著になった戦争の記憶の作品化は、20世紀「遺書文学」の傑作として注目された。

 国体につひに考へ及びたる時凍蝶(いててふ)ががばと起てり 『黄金律
 たとえばこの『黄金律』(1991)の「凍蝶」は、シベリアに抑留されて絶命した兵士のイメージを連想させるが、天皇の名を耳にしたとたん、彼らが「がば」と起(た)ちあがる幻想によって、死者をも支配する「国体」観念の恐ろしさにメスを入れることができた。思想的背景に、ヨーロッパ前衛芸術への理解と、キリスト教への関心があった。「現代の定家」を自負する作者鬼才は、小説、評論、映画シャンソン領域にも及び、絢爛(けんらん)たる文体とともに、余人追随を許さぬ独自の美学的世界を確立した。1990年(平成2)紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。

[菱川善夫]

 馬を洗はば馬のたましひ冴(さ)ゆるまで人恋はば人あやむるこころ

『『塚本邦雄湊合歌集』(1982・文芸春秋)』『『波瀾 歌集』(1989・花曜社)』『『黄金律 歌集』(1991・花曜社)』『『塚本邦雄全集』全15巻・別巻1(1998~2001・ゆまに書房)』『『約翰伝偽書 歌集』(2001・短歌研究社)』『『日本人霊歌 歌集』(短歌新聞社文庫)』『岡井隆著『辺境よりの註訳――塚本邦雄ノート』(1973・人文書院)』『塚本邦雄・寺山修司対談集『火と水の対話』(1977・新書館)』『安森敏隆著『幻想の視覚――斎藤茂吉と塚本邦雄』(1989・双文社出版)』

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百科事典マイペディア 「塚本邦雄」の意味・わかりやすい解説

塚本邦雄【つかもとくにお】

歌人,小説家,評論家。滋賀県生れ。彦根高商卒。戦後商社に入社,以後30年勤務する。《日本歌人》で作歌活動を開始。結社に所属することなく,歌集《水葬物語》(1951年),《装飾楽句》(1956年)を刊行,《日本人霊歌》(1958年)は現代歌人協会賞を受賞した。反写実的な喩を方法とし,鋭利な批評性をそなえた短歌で,寺山修司らとともに昭和30年代前衛短歌の中心的存在となった。《詩歌変》で詩歌文学館賞,《不変律》で迢空賞,《黄金律》で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞している。評論に《夕暮の諧調》《定型幻視論》,小説に《紺青のわかれ》など。
→関連項目岡井隆中井英夫

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塚本邦雄」の解説

塚本邦雄 つかもと-くにお

1920-2005 昭和後期-平成時代の歌人。
大正9年8月7日生まれ。前川佐美雄に師事し,昭和26年第1歌集「水葬物語」をだす。前衛短歌運動の旗手として活躍し,34年「日本人霊歌」で現代歌人協会賞。60年より「玲瓏(れいろう)」を主宰。平成元年「不変律」で迢空(ちょうくう)賞,5年「魔王」ほかで現代短歌大賞。きらびやかな歌風を展開した。平成元年近畿大教授。作家塚本青史の父。平成17年6月9日死去。84歳。滋賀県出身。評論に「茂吉秀歌」など。
【格言など】日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも(「日本人霊歌」)

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