壁画墓(読み)へきがぼ

改訂新版 世界大百科事典 「壁画墓」の意味・わかりやすい解説

壁画墓 (へきがぼ)

墓室の壁面に絵画などを描いた墓をいう。エジプトでは古王国時代末期から王墓の玄室に壁画が描かれ,しだいに発展して,新王国時代には玄室の壁ばかりか天井をも絵画やヒエログリフで埋めつくすまでになる。そのほか前6世紀ころからエトルリアで行われ,ローマやヘレニズム世界にもみられるが,ここでは中国を中心に東アジアの壁画墓について記述する。エジプトやヨーロッパについては〈ピラミッド〉〈カタコンベ〉などの項を参照されたい。

 東アジアでは中国で最も早く出現する。《史記》に描写されている秦始皇陵の墓室では,天体・地上・地下の情景が絵画によって描かれている可能性が強いが,実例としては前漢代からのものが残る。前漢初期の長沙馬王堆3号漢墓では,棺をおさめる槨室のまわりに,彩色して描いた帛画の幕がめぐらされていた。生前の被葬者が軍隊閲兵する情景を壮大に描いている(馬王堆漢墓)。河北省満城漢墓では,墓室のなかに木造瓦葺きの小屋を建て,そのなかに天幕を張ったことが報告されており,この小屋の壁ないしは幕に,壁画を描いたことが想定できる。以上は王侯墓の例だが,一般庶民の墓にも壁画の装飾が行われた。洛陽を中心とする中原地方では,高価な木材にかえて空心塼(くうしんせん)と呼ばれる大型のが,墓の構造材として流行する。この空心塼に,文様の一種として人物,動物,家屋などの絵をスタンプしており,これを墓室の壁に用いることによって既成の壁画墓となる。もう少し手のこんだものでは,絵を切り抜いたり表面に漆喰を塗って個性的な彩色絵画を施している。前漢代の壁画墓では墓室を墓主の家宅に見たてて,次のような画題を追求している。(1)墓主の日常生活に必要な従者,動物,家屋,器材など。(2)墓に悪霊が侵入することを防ぐ怪獣や武人。(3)死者が生活する地下と天上界の情景および歴史的な伝説。

 後漢・魏・晋時代になると,塼積みないしは石積みの横穴式墓室が全国的に広がり,立体空間と壁面の多くなった墓室に絵画を描く習俗が普及していく。壁画の表現法としては,(1)塼積みの壁に漆喰を塗って彩色の絵画を描く,(2)墓室の板壁に彩色絵画を描く,(3)板石に絵や文様を浮彫風に線刻する(画像石),(4)塼に絵や文様を型押しする(画像塼),などの方法がとられている。絵画の表現は,河南河北山西,内モンゴル,甘粛,遼寧,朝鮮などに展開する。画像石は,河南,陝西,山東,江蘇に流行し,画像塼は河南,四川に主として分布する。このようにいずれの技法も中原地方を中心にして存在しており,都のあった河南省から地方へ普及した状況がうかがえる。当時は地方豪族の力がしだいに高まった時代であり,壁画では裕福な彼らの日常生活や,立身出世の一代記が題材の中心を占める。これは特注品ともいえる絵画や画像石に見られるところであるが,画像塼や画像石の一部では特定個人ではなく,不特定の人々を対象にしたと思われる様式化した題材が選ばれている。

 南北朝時代,墓は前代に比べて小型化し,副葬品も貧弱になる。壁画も前代に比べて簡略化傾向を示し,南朝では画像塼,北朝では絵画が主流となる。しかし,画題は共通し,現実の描写が後退する。流行したのは,神仙界を題材とし,その描写が克明になることである。過去の著名な仙人の肖像,神人と青竜や白虎に導かれて仙界に上る昇仙図がそれである。こうした図像には当時の生活に深く浸透していた仏教の蓮華文,唐草文,飛天などが巧みに取り入れられている。一方,墓主を取り巻く,飾馬,武士,文官,従者などからなる儀仗行列の図が類型的に配置される。ここでは,経済力や権力の誇示は一歩後退し,現実の混乱から逃避して不老不死の神仙に至ることを希求する不安定な精神が描かれている。

 隋・唐時代は北朝の制度を受け継ぎ,絵画が主流となる。初期にはなお南北朝的な題材が残るが,盛唐になると唐代独自の壁画墓が確立していく。永泰公主墓懿徳(いとく)太子墓章懐太子墓では,青竜・白虎をはじめとし,儀杖行列などが墓道の壁に描かれ,墓室では墓主に奉仕する女官や宦官などが並ぶ,快楽的な屋内の情景に限られている。現実を謳歌しているのである。宋代になっても,壁画墓が多くつくられている。墓室は一段と現実の家屋と接近し,茶を飲んだり,芝居を見るなど,きわめて日常的な情景が生き生きと描写されている。一方,北方を支配した遼でも,陵墓は美しい壁画で満たされており,遊牧民の民俗的な肖像や漠北の荒々しい風景が,写実的な筆致で描かれている。

 朝鮮の高句麗の壁画墓では,初期には永和13年(357)の紀年銘をもつ安岳3号墳をはじめ,漢・魏・晋の伝統が濃厚に漂っている。高句麗族の風俗が加味されながらも壁画の発想は中国的である。後期になると人物像がなくなり,南北朝的な神仙図を中心とする壁画に変化する。百済でも陵山里古墳群に見るように,四神図を中心とする南朝系の壁画が描かれ,それが日本列島に伝わり,飛鳥の高松塚古墳キトラ古墳として結実する。
装飾古墳
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世界大百科事典(旧版)内の壁画墓の言及

【装飾古墳】より

…日本の古墳のうち,(1)浮彫または線刻で飾った石棺,(2)浮彫または線刻で飾った石障(せきしよう)をもつ横穴式石室,(3)壁面に彩色文様ないし壁画を描いた横穴式石室,(4)墓室の内壁または外壁に浮彫,線刻,彩色画などのある横穴,以上の4種をふくむ。しかし,日本以外の地域では,石棺に彫刻があっても装飾古墳ということはなく,墓室に壁画や浮彫があるものも,壁画墓,画像石墓などとはいうが,装飾古墳とはいわない。日本で装飾古墳をとくに問題にすることが多いのは,その装飾にたいする美術史的な関心とともに,以上の4種がいずれも,主として福岡・熊本・大分・佐賀4県にわたる,九州北部地方に密集して存在するという地域的特性を重視するからである。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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