外光派(読み)がいこうは

精選版 日本国語大辞典 「外光派」の意味・読み・例文・類語

がいこう‐は グヮイクヮウ‥【外光派】

〘名〙 (pleinairisme の訳語) フランス近代画の一派。戸外の光の研究表現を重視し、風景画だけでなく人物画も同様に扱った。マネ、モネに始まる。印象派同義に用いることもあるが、狭義には、印象派の風景画家と区別し、バスティアン=ルパージュなどが含まれる。
※南派原委(1896)〈森鴎外〉「印象派の名を用ゐることの広きに過ぐるを怪み、これに代ふるに外光派の名を以てせんと」

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デジタル大辞泉 「外光派」の意味・読み・例文・類語

がいこう‐は〔グワイクワウ‐〕【外光派】

《〈フランス〉pleinairisme》19世紀後半のフランス絵画の一派。スケッチから完成画まで戸外で描き、自然の光・空気を画面に再現しようとした。

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百科事典マイペディア 「外光派」の意味・わかりやすい解説

外光派【がいこうは】

フランス語pleinairismeの訳。1850年―1860年代,日光の下で自然描写を試み,明るい色調を用いたフランスの画家たちをさす。スケッチのみならず仕上げも戸外で行い,従来にない感覚的で新鮮な画面を生んだ。ヨンキントブーダンなど印象派に先立って戸外で風景画を制作した画家たちがこれに当たる。若い画家たちがこれに続き,印象主義誕生の契機にもなった。また,1880年代以降アカデミックな描写や表現に印象主義風の外光描写を取り入れたコランらの折衷画派をいうこともある。日本ではコランに学んだ黒田清輝が導入,和田英作らとともに一派を形成し紫派と称され,明治30年代に白馬会に結集した。
→関連項目赤松麟作浅井忠岡田三郎助久米桂一郎和田三造

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「外光派」の意味・わかりやすい解説

外光派
がいこうは
pleinairisme フランス語

戸外の明るくて清新な光や色彩の効果を重視して、作品を終始戸外で描こうとする考え方外光主義といい、そうした制作方法をとる画家たちを総称して外光派という。風景画制作にもっともかかわりの深いことばで、ターナーコンスタブルコローミレーといった先例がありはするが、19世紀後半以降のフランスでもっとも熱心で実り豊かな追求がなされた。モネを初めとする印象派の風景画家はほとんどすべてこの立場をとっており、彼らを直接に先駆した画家としてはクールベ、ヨンキントそしてブーダンがあげられる。西洋では、現場での写生を基礎として、アトリエ内の人工的な光線のもとで油絵を仕上げるというのが、風景画制作の伝統であった。だが近代的な実証主義思潮の登場とともに、絵画史のうえでもあるがままの自然を冷静かつ客観的に描こうとする写実主義の考え方が強まり、光が物の形および色彩に及ぼすもろもろの作用や、大気の乾湿の度合いにも注意が向けられ、伝統的な制作法への疑問とも相まって、外光主義は1850、60年代に革新的な考え方として多くの優秀な画家によって採用され始めた。色調分割その他印象派の理論も、この考え方の延長線にほぼ必然的な形で現れてくることとなる。黒田清輝(せいき)や久米桂一郎(くめけいいちろう)がフランスから19世紀末の日本に持ち帰った画風も一種の外光主義であって、厳密には印象主義と認めがたい点が多いといわざるをえない。

[池上忠治]

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改訂新版 世界大百科事典 「外光派」の意味・わかりやすい解説

外光派 (がいこうは)
Pleinairistes[フランス]
Pleinairisme[フランス]

19世紀後半のフランスの画派。また明治中期の日本洋画の一派。フランスの場合は二つあり,一つは1850-60年代にアトリエから戸外へ出て外光のもとで制作しはじめたコローなどバルビゾン派の一部や,ブーダンなどル・アーブル地方の海辺で終始戸外で制作して印象派の先駆となった画家たちである。いま一つは,1880年代以後,印象派が評価をうけてから,従来のアカデミックな描写や表現に印象派風の外光描写をとりいれた折衷画派をさす。後者は,バスティアン・ルパージュJules Bastien-Lepage(1848-84),コランなどで,イタリア,ドイツ,ロシアなどにもその影響が及んだ。日本ではコランに学んだ黒田清輝,久米桂一郎によって明治20年代後半(1890年代)にもたらされ,陰影部分に紫を用いたことから紫(むらさき)派,また新派と呼ばれ,それ以前の明治初期以来の洋画家たちを脂(やに)派,旧派と呼んだ。日本の外光派は明治30年代白馬会に結集し,旧派を圧倒して大正期まで日本洋画界の主流を形成した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「外光派」の意味・わかりやすい解説

外光派
がいこうは
Pleinairisme

美術用語。特定の画派をさす場合は印象主義がこれに該当する。広義に使われることが多く,自然光線による色彩効果を表現するため戸外で描く画家たちを呼ぶ。 19世紀なかばまで風景画は戸外でモチーフ取材を行い,画室で仕上げるのが通例であったので,色彩の固定概念に拘束され,全般的に茶褐色を基調とした暗い画面であった。 19世紀のイギリスの画家コンスタブルやターナーはアトリエから戸外に出て,自然光線による風景の変化の様態を明るい色彩を使って直接描きはじめ,外光派の先駆となった。イタリアでは 19世紀なかばのマキアイオリ派の画家セガンティーニがおり,フランスでは印象主義者に先行したバルビゾン派の画家ドービニーやオランダのヨンキントがいる。印象派隆盛後あるいはこれに並行して,印象派と対立する立場にあった官展派のアカデミックな画家たちのなかでも,印象派の影響を受けて戸外で制作した画家たちがいたが,彼らを印象派の亜流という意味から外光派と呼ぶこともある。なかでも R.コランは日本の黒田清輝や久米桂一郎のフランスでの師として重要である。日本でも,帰国した黒田や久米,藤雅三たちによって明治初期に形成された紫派 (→白馬会 ) の画家たちを外光派と称した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「外光派」の解説

外光派
がいこうは

明治中期,フランスの洋画技法を用いる黒田清輝・久米桂一郎らの洋画家グループ
紫派・新派とも呼ぶ。彼らは印象派の彩色法に学び,明快な色調をもって明治美術会の暗い色調(脂 (やに) 派)と対抗。1896年白馬会を結成した。

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世界大百科事典(旧版)内の外光派の言及

【白馬会】より

…明治期の洋風美術団体。1896年黒田清輝,久米桂一郎を中心とする外光派の画家たちによって結成された。はじめ黒田らも明治美術会に参加していたが,芸術家の自由を標榜し感覚の解放を求める外光派の人たちにとって会の古い体質は耐えがたく,退会して新たな団体をつくることになったものである。…

※「外光派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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