多摩市(読み)タマシ

デジタル大辞泉 「多摩市」の意味・読み・例文・類語

たま‐し【多摩市】

多摩

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「多摩市」の解説

多摩市
たまし

面積:二一・〇八平方キロ

都の南西部、多摩丘陵の中央北部に位置し、東は稲城いなぎ市、西は日野市・八王子市、南は町田市・神奈川県川崎市麻生あさお区、北は東流する多摩川を境に府中市に接している。乞田こつた川がほぼ中央部を、北部を大栗おおくり川が北東流して関戸せきどで合流したのち多摩川に入る。北部は多摩川の氾濫低地・河岸段丘谷底平野などであるが、南部の丘陵地帯は多摩ニュータウンの開発により、大規模な人工改変地になっている。多摩ニュータウン地区の中央部を京王相模原線・小田急多摩線が東西に走り、両線の多摩センター駅から北へ多摩都市モノレールが分れる。北部を京王線がほぼ東西に通る。

〔原始・古代〕

樹枝状に開析された平坦面の少ない丘陵部を中心として旧石器時代から縄文時代後期にいたる遺跡が多数存在する。大栗川右岸の舌状台地上に位置する和田西わだにし遺跡では縄文前期諸磯式期の大型竪穴建物跡が七棟発見されており、周辺集落の集会所的役割を果した遺跡として注目される。大栗川際の沖積地には晩期の配石墓群である和田の新堂しんどう遺跡がある。同川右岸の和田・百草もぐさ地区は市内で最も平坦面が広い台地状の丘陵で、方形周溝墓を伴う古墳時代前期の大規模集落や、後期の群集墳である塚原つかつぱら古墳群と八角形墳と推定される稲荷塚いなりづか古墳がある。同川の対岸斜面には多摩丘陵最古最大の中和田なかわだ横穴墓群がある。律令制下では多摩郡に属し、「和名抄」所載の多磨たま小野おの郷、「延喜式」神名帳所載の同郡「小野ヲノ神社」を当市域に比定する説がある。遺跡では奈良時代前半の村落内寺院が発見された和田西遺跡や、土師器盤状坏が多数出土した東寺方ひがしてらがた遺跡、多摩川の沖積地に展開する日野市にかけての落川おちかわ一の宮いちのみや遺跡など、多磨郡小野郷を構成したと推定される大規模な集落遺跡がみられる。

〔中世〕

中世の市域はそのほとんどが吉富よしとみ(のち関戸郷)に占められていた。南西部は由木ゆき郷に含まれていた可能性があるが、その境界はあきらかではない。市域内には武蔵国府中と鎌倉をつなぐ鎌倉街道上道が南北に貫通し、関戸は中世を通じて多摩川の渡河点にある宿として重要な意味をもっていた。また北部の低地には落川・一の宮遺跡からその一部が発掘された古川崎街道が東西に走っていたと考えられる。関戸はこのような政治的・地形的環境により、度々合戦や軍勢集結の場となり、元弘三年(一三三三)五月の新田義貞と恵性(北条泰家)との関戸合戦をはじめとして、武蔵野合戦、上杉禅秀の乱、永享の乱などの戦場としてその名をみせている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多摩市」の意味・わかりやすい解説

多摩〔市〕
たま

東京都西部にある市。 1964年町制。 71年市制。多摩川南岸の多摩丘陵を占め,かつては農業中心の町であったが,1960年代に入って多摩丘陵の開発が行われ,市域を東西に通る小田急電鉄京王電鉄の沿線に人口 30万を収容する多摩ニュータウンの建設が進む。多摩センター駅南部には多摩中央公園,文化施設,デパートや日本初の全天候型遊園地が立地。東部の桜ヶ丘公園に多摩聖蹟記念館がある。市域北西部は多摩丘陵都立自然公園に属する。面積 21.01km2。人口 14万6951(2020)。

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