夢路 いとし(読み)ユメジ イトシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「夢路 いとし」の解説

夢路 いとし
ユメジ イトシ


職業
漫才

資格
大阪市無形文化財〔平成11年〕

本名
篠原 博信(シノハラ ヒロノブ)

別名
旧芸名=荒川 芳博

グループ名
コンビ名=夢路いとし・喜味こいし(ユメジイトシキミコイシ)

生年月日
大正14年 3月27日

出生地
神奈川県 横浜市鶴見区潮田町

経歴
父が新派の俳優だったため各地を転々とし、7歳の時に初舞台。昭和12年上方漫才の草分け・荒川芳丸に入門し、荒川芳博と名乗り、弟の勲(のちの喜味こいし)と荒川芳博・芳坊のコンビを組む。15年には吉本興業に入り、子供漫才として舞台に立つ。23年若手漫才作者の秋田実と出会いMZ研進会を結成、同年流行歌「東京行進曲」の「昔恋しい銀座の柳」の一節から“いとし”をとり、その対句で“こいし”として夢路いとし・喜味こいしと改名。この時、どちらが“いとし”“こいし”を名乗るかはジャンケンで決めたというエピソードがある。25年にスタートしたNHK大阪の上方お笑い番組「気まぐれショーボート」に出演して人気を得て以来、ラジオ、テレビ、映画、舞台に活動の場を広げた。中でも38〜50年にTBSで放送された視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」の軽妙な司会ぶりで知られ、「5万円、7万円、10万円、運命の分かれ道」と早口で語る名文句は番組の名物となった。平成8年脳内出血で倒れたが、奇跡的に復帰。11年大阪市から漫才で初めて無形文化財に指定された。家庭や庶民の日常生活、時事問題を題材にした“しゃべくり漫才”の第一人者で、下ネタや不快感を与えるネタは一切やらず、近代話術漫才の正統を継ぐ名コンビとして晩年まで第一線で活躍した。絶妙の間合いで力の抜けたボケを見せ、多くの人々の笑いを誘った。主な演目に「交通巡査」「ジンギスカン料理」「三十年目の新婚旅行」「ボクの社交術」「わが家の湾岸戦争」などがある。没後の17年、上方演芸の殿堂入りを果たす。

受賞
芸術選奨文部大臣賞(第43回 平4年度)〔平成5年〕 紫綬褒章〔平成5年〕,勲四等旭日小綬章〔平成10年〕 芸術祭奨励賞(大衆芸能部門)〔昭和42年〕,上方漫才大賞〔昭和44年〕,上方お笑い大賞〔昭和51年〕,大阪芸術賞〔昭和61年〕,大阪市民文化賞,NHK放送文化賞(第41回)〔平成2年〕,上方お笑い大賞(読売テレビ演芸文化賞 第27回)〔平成10年〕,上方漫才大賞(特別功労賞 第35回)〔平成12年〕,上方お笑い大賞(30周年記念特別賞 第30回)〔平成13年〕,上方お笑い大賞(特別功労賞 第32回)〔平成15年〕,菊池寛賞(第51回)〔平成15年〕

没年月日
平成15年 9月25日 (2003年)

家族
弟=喜味 こいし

伝記
いとしこいし想い出がたりワッハ上方を作った男たちいとしこいし 漫才の世界米朝・上岡が語る昭和上方漫才 喜味 こいし 著,戸田 学 聞き手毛馬 一三 著喜味 こいし,戸田 学 編桂 米朝,上岡 龍太郎 著(発行元 岩波書店西日本出版社岩波書店朝日新聞社 ’08’05’04’00発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「夢路 いとし」の解説

夢路 いとし
ユメジ イトシ

昭和・平成期の漫才師



生年
大正14(1925)年3月27日

没年
平成15(2003)年9月25日

出生地
神奈川県横浜市鶴見区潮田町

本名
篠原 博信(シノハラ ヒロノブ)

別名
コンビ名=夢路いとし・喜味こいし(ユメジイトシキミコイシ),旧芸名=荒川 芳博

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞(大衆芸能部門)〔昭和42年〕,上方漫才大賞〔昭和44年〕,上方お笑い大賞〔昭和51年〕,大阪芸術賞〔昭和61年〕,大阪市民文化賞,NHK放送文化賞(第41回)〔平成2年〕,芸術選奨文部大臣賞(第43回 平4年度)〔平成5年〕,紫綬褒章〔平成5年〕,上方お笑い大賞(読売テレビ演芸文化賞 第27回)〔平成10年〕,勲四等旭日小綬章〔平成10年〕,上方漫才大賞(特別功労賞 第35回)〔平成12年〕,上方お笑い大賞(30周年記念特別賞 第30回)〔平成13年〕,上方お笑い大賞(特別功労賞 第32回)〔平成15年〕,菊池寛賞(第51回)〔平成15年〕

経歴
父が新派の役者だったため各地を転々とし、7歳の時に初舞台。昭和12年上方漫才の草分け・荒川芳丸に入門し、荒川芳博と名乗り、弟の勲(のちの喜味こいし)と荒川芳博・芳坊のコンビを組む。15年には吉本興業に入り、子供漫才として舞台に立つ。23年若手漫才作者の秋田実と出会いMZ研進会を結成、同年流行歌「東京行進曲」の「昔恋しい銀座の柳」の一節から“いとし”をとり、その対句で“こいし”として夢路いとし・喜味こいしと改名。この時、どちらが“いとし”“こいし”を名のるかはジャンケンで決めたというエピソードがある。25年にスタートしたNHK大阪の上方お笑い番組「気まぐれショーボート」に出演して人気を得て以来、ラジオ、テレビ、映画、舞台に活動の場を広げた。中でも38〜50年にTBSで放送された視聴者参加番組「がっちり買いまショウ」の軽妙な司会ぶりで知られ、「5万円、7万円、10万円、運命の分かれ道」と早口で語る名文句は番組の名物となった。平成8年脳内出血で倒れたが、奇跡的に復帰。11年大阪市から漫才で初めて無形文化財に指定された。家庭や庶民の日常生活、時事問題を題材にした“しゃべくり漫才”の第一人者で、下ネタや不快感を与えるネタは一切やらず、近代話術漫才の正統を継ぐ名コンビとして晩年まで第一線で活躍した。絶妙の間合いで力の抜けたボケを見せ、多くの人々の笑いを誘った。主な演目に「交通巡査」「ジンギスカン料理」「三十年目の新婚旅行」「ボクの社交術」「わが家の湾岸戦争」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「夢路 いとし」の解説

夢路 いとし (ゆめじ いとし)

生年月日:1925年3月27日
昭和時代;平成時代の漫才師
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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