大伴氏(読み)おおともうじ

改訂新版 世界大百科事典 「大伴氏」の意味・わかりやすい解説

大伴氏 (おおともうじ)

日本古代の中央有力豪族。姓は連(むらじ)で,684年(天武13)以後宿禰(すくね)となった。伴(とも)は朝廷の各種の職務を世襲的に奉仕する集団で,大伴とは,伴の大いなる者,あるいは多くの伴を支配する伴造(とものみやつこ)の意であろう。記紀の伝承では,天孫降臨のおり,遠祖天忍日命(あめのおしひのみこと)が武装して先導し,神武東征のおりにも,遠祖日臣命(道臣命)が大和への道を先導したという。おそらく4~5世紀の大和政権の発展期に,朝廷の諸機能にたずさわる伴の管理者として成長し,ことに軍事的統率者として頭角を現したものと思われる。9世紀ごろの大伴氏の伝承では,5世紀後半,雄略天皇(倭王武)のころの大連であった室屋(むろや)は,靫負(ゆげい)3000人を領して宮廷の守衛に当たったという。このころ以後,大伴氏は大和政権の政治を領導し,また来目部・佐伯部・靫負などをひきいる軍事的指導者の地位を確立していったのであろう。大伴氏はまた,5世紀末から6世紀にかけて,朝鮮半島との外交交渉にも活躍した。室屋の孫とされる金村は,武烈天皇の死後継体天皇を越前から迎え,さらに大連として任那4県に対する百済の支配を容認する決定をくだしたが,のち欽明朝にいたり,その政策を批判されて失脚し,以後政権の主導的地位は蘇我氏に移った。7世紀に入り,645年(大化1)蘇我氏が倒れて大化改新の新政府ができると,金村の孫の長徳(馬飼)が649年右大臣となり,政界における地位を復した。さらに672年の壬申の乱には,馬来田・吹負(ふけい)が大海人皇子方に立って活躍し,ことに吹負は,大和の諸勢力を糾合して近江朝廷方の軍と戦い,大きな功績を立てた。その後律令政治のもとで,大伴氏は太政官を構成する氏族の一員として,御行・安麻呂・旅人がいずれも大納言にまでのぼり,政界に重きをなした。《万葉集》には,旅人・家持・坂上郎女など大伴氏の人々の歌が多くみられる。

 大伴氏は強い族的意識をたもち,佐伯氏とともに武門の家柄を誇ったが,新しい律令政治のもとで,旧来の軍事的伴造の地位はしだいに空洞化し,また天皇権力と密着した新興の藤原氏の圧迫をうけて,氏族としての政治的地位は不利に傾いた。旅人の子家持は中納言にとどまり,また8世紀後半の,橘奈良麻呂の変や藤原種継暗殺事件などの政治的事件のたびに,連座して失脚する氏人が多かった。平安時代に入り,823年(弘仁14)大伴氏は淳和天皇の諱(いみな)を避けて伴氏に改姓した。仁明朝以後,善男が頭角を現し,清和天皇のときには大納言に昇ったが,866年(貞観8),左大臣源信の失脚をはかって応天門に放火する事件により伊豆に流され,大伴氏の没落は決定的となった。10世紀に入り,939年(天慶2),保平が参議となり,942年には宿禰姓を改めて朝臣(あそん)姓を賜ったが,以後公卿となる者はいなかった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大伴氏」の意味・わかりやすい解説

大伴氏
おおともうじ

5世紀から9世紀にかけて繁栄した有力氏族。天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の先駆を務めた天押日命(あめのおしひのみこと)の後裔(こうえい)と伝える神別氏族で、初め連(むらじ)姓、684年(天武天皇13)宿禰(すくね)姓を賜う。物部(もののべ)氏とともに大和国家(やまとこっか)の軍事を担当し、政治面でも活躍した。記紀、『古語拾遺(こごしゅうい)』その他によれば、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子(一説に5世孫)が天押日命、その3世孫が神武(じんむ)東征の先導を勤めた道臣命(みちのおみのみこと)、さらにその7世孫が雄略(ゆうりゃく)~武烈(ぶれつ)5朝の大連(おおむらじ)室屋(むろや)(これ以降実在の人物)で、彼の代から靭負(ゆげい)3000を率いて宮門を警護することが世職となったという。室屋の孫金村(かなむら)も武烈~欽明(きんめい)の5朝に大連として歴仕し、武烈の意を受けて大臣(おおおみ)平群真鳥(へぐりのまとり)父子誅殺(ちゅうさつ)し、武烈なきあとには越前(えちぜん)から継体(けいたい)を迎立して大和朝廷に重きをなした。しかし対朝鮮政策につき、物部尾輿(おこし)の非難攻撃を受けて政界を引退するのやむなきに至り、大伴氏の勢力はようやく衰退に向かった。大化(645~650)のころ長徳(ながとこ)が右大臣となり、さらに壬申(じんしん)の乱に大海人皇子(おおあまのおうじ)方についた馬来田(まくた)・吹負(ふけい)・御行(みゆき)らが家運を挽回(ばんかい)し、8世紀には安麻呂(やすまろ)、旅人(たびと)、家持(やかもち)ら多くの高官を出したが、新興貴族藤原氏の進出に押されてしだいに後退した。とくに785年(延暦4)藤原種継(たねつぐ)暗殺事件の首謀者として家持が生前の官位をことごとく剥奪(はくだつ)されるに及んで急速に衰えた。823年(弘仁14)大伴親王(淳和(じゅんな)天皇)の諱(いみな)を避けて伴(とも)氏と改めたが、866年(貞観8)応天門(おうてんもん)の変で大納言(だいなごん)伴善男(とものよしお)が失脚するに至って、大伴氏は政界中枢から完全にその姿を没した。

[黛 弘道]


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百科事典マイペディア 「大伴氏」の意味・わかりやすい解説

大伴氏【おおともうじ】

古代の豪族。大和朝廷の軍事力をになった有力な氏。物部(もののべ)氏とともに大連(おおむらじ)となる。一時衰えたが,壬申(じんしん)の乱の時天武方につき再興。藤原氏の台頭で衰運に向かう。823年淳和(じゅんな)天皇の諱(いみな)大伴を避けて伴と改姓。866年応天門の変で善男(よしお)が配流(はいる)されて以後まったく衰えた。→大伴金村伴善男大伴家持
→関連項目応天門大伴旅人大連

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大伴氏」の意味・わかりやすい解説

大伴氏
おおともうじ

古代の有力貴族の一つ。姓 (かばね) は連,のちに宿禰。大和朝廷下では力があり,4~5世紀頃にはすでに軍事的にすぐれた氏族であった。6世紀に大伴金村が出て,欽明天皇の宮廷で勢威をふるったが,物部氏によって失脚させられた。諸所に大伴部を設置して氏族全体を支え,壬申の乱に勇戦,天武天皇の宮廷で,大いに復興した。しかし,藤原不比等,武智麻呂などの台頭により,旅人,家持 (歌人) などは苦境に立つことが多く,官も不遇となった。平安時代初期の弘仁 12 (821) 年,淳和天皇の諱大伴を避けて,氏を「伴」と改めた。伴善男は大納言にまで進んだが,応天門の変で失脚して以来急速に一族は衰え,わずかに天慶年間 (938~947) に伴保平が参議となった程度である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大伴氏」の解説

大伴氏
おおともうじ

古代の有力な中央豪族。姓は連(むらじ),684年(天武13)宿禰(すくね)となる。本来は摂津・和泉の豪族で,大和の城上(しきのかみ)・十市(とおち)両郡にも本拠をもった。大伴の名は有力な伴造(とものみやつこ)の意で,靫負(ゆげい)や久米部,同族の佐伯を率いて宮門を守るのを職掌としたが,しだいに力を増し国政にも参与した。雄略朝に大連となった室屋(むろや)以後が実在とされ,その孫金村(かなむら)は継体天皇を擁立した。その後,新興の物部・蘇我両氏に押されたが,大化の改新後,長徳(ながとこ)が右大臣となり,その弟の馬来田(まくた)・吹負(ふけい)は壬申の乱で活躍した。文武朝以後には御行(みゆき)・安麻呂・旅人(たびと)が大納言となったが,旅人の子の家持(やかもち)以後は藤原氏に抑えられ,866年(貞観8)大納言の伴善男(よしお)が応天門の変で失脚して衰微した。なお823年(弘仁14)氏の名を伴と改めている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大伴氏」の解説

大伴氏
おおともうじ

古代の中央豪族
姓 (かばね) は連 (むらじ) ,のち宿禰 (すくね) 。大連 (おおむらじ) として国政に参与し,大和政権の軍事を担当した。6世紀,継体天皇を擁立した金村のとき全盛期を迎えたが,527年金村が任那 (みまな) 4県を百済 (くだら) に与える失政により失脚し,以後衰退した。奈良時代の旅人 (たびと) ・家持 (やかもち) は歌人として有名。平安時代,淳和天皇の名が「大伴皇子」であったので伴氏と改めた。承和の変・応天門の変などで藤原氏に敗れ没落した。

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世界大百科事典(旧版)内の大伴氏の言及

【靫負】より

…《日本書紀》には白髪部(しらがべ)靫負,刑部(おさかべ)靫部などの称が見えるので,白髪部刑部など朝廷に所属する名代(なしろ)の部の集団から資養をうけたとみられ,それらの部の名称から5~6世紀に成立したものと推定される。大伴・佐伯両氏の伝承によると,5世紀後半の雄略天皇のとき,大伴室屋が靫負を統率して宮門の警衛にあたったといわれ,大伴氏との関係が密接であった。靫負に関係する伝承や地名が西日本に多いので,主として西日本の豪族層から採用されたと考えられる。…

※「大伴氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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