大伴部博麻(読み)おおともべの はかま

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大伴部博麻」の解説

大伴部博麻 おおともべの-はかま

?-? 飛鳥(あすか)時代の兵士
筑紫(つくし)の人。斉明(さいめい)天皇7年(661)百済(くだら)(朝鮮)救援軍にしたがい,唐(中国)の捕虜となる。天智(てんじ)天皇3年に唐の日本出兵計画を知り,本国につげるため,自分の身を売って費用を捻出し仲間帰国させる。在唐30年,持統天皇4年に帰国。水田物品をさずかった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大伴部博麻の言及

【筑後国】より

…久留米市の高良(こうら)山と山門郡の女山(ぞやま)には7世紀に築造された山城址の神籠石(こうごいし)が見られ,浮羽郡から久留米市にかけての旧竹野・山本両郡域では条里制地割が今日に残り,小郡市の小郡官衙跡は御原郡衙跡に比定される。7世紀後半の百済の役には多くの人々が動員されたらしく,唐の捕虜となった上陽咩(かみつやめ)(八女)郡人の大伴部博麻は690年に約30年ぶりに帰国している。8世紀初頭の筑後守道首名(みちのおびとな)は大宝律令の編纂にも参画した学者で,肥後守を兼任して農事奨励や池溝開鑿など民政に治績をあげ,任地で没したが,当代を代表する能吏の一人に数えられる。…

※「大伴部博麻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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