大内盛房(読み)おおうちもりふさ

世界大百科事典(旧版)内の大内盛房の言及

【大内氏】より

…中世の西中国の雄族(図)。百済聖明王第3子琳聖太子が周防国多々良浜に着岸,聖徳太子より大内県を采邑とし多々良の姓を賜ったと伝える。鉄製錬技術をもち半島から帰化した氏族であろう。12世紀中葉から周防在庁の有力者で盛房以来周防権介を世襲し大内介と称した。13世紀後半惣領家は在国司ほかの要職を,庶家の問田(といた)・右田(みぎた)・鷲頭(わしず)の諸家も在庁の要職を保持し,同時に鎌倉御家人で六波羅評定衆。…

【周防国】より

…1137年(保延3)周防国庁宣に留守所がみえ,他方,在庁官人として大内氏の前身である多々良氏のほか,日置氏,矢田部氏,土師(はじ)氏賀陽(かや)氏,中原氏などが登場する。【八木 充】
【中世】

[平安末期の武士]
 大内氏については,平氏全盛のころ大内盛房など一族4名が東国に流され,1178年(治承2)召還されたことがわかるが,内乱期の動向は不明である。他の氏族では,源平争乱期に入って一ノ谷合戦後,山陽道を下った平知盛が大島に拠ったときは屋代源三等が平家方につき,これを追って源範頼が西下したときは内藤盛家が遠石荘で源軍と抗戦した。…

※「大内盛房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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