大刀洗町(読み)たちあらいまち

日本歴史地名大系 「大刀洗町」の解説

大刀洗町
たちあらいまち

面積:二二・八三平方キロ

筑後川中流域の右岸に位置し、三井郡の北半を占める。西は小郡市、南は三井郡北野きたの町および浮羽うきは田主丸たぬしまる町、東は甘木市、北は朝倉あさくら三輪みわ町に接する。北部に緩やかな起伏のある洪積台地があり、南部は平坦な沖積地が広がる。東部を筑後川支流の小石原こいしわら川、西部を同大刀洗川がほぼ南北に貫流する。北部寄りを大分自動車道が東西に貫通し、国道三二二号が町の北東から南西に通り、主要地方道鳥栖―朝倉線・同久留米筑紫野ちくしの線や数本の県道がこれに接続する。律令制下では旧本郷ほんごう村・大刀洗村地域のほとんどが御原みはら郡、南部の旧大堰おおぜき村地域は御井みい郡、南東部は竹野たかの郡に属した。春日の市かすがのいちまちじゆうなど条里制の遺称地と考えられる数詞坪地名が残る。平安時代には豊前宇佐宮領の守部もるべ庄と太宰府安楽寺領の高比たかひ庄が成立した。府官大蔵氏の一族であった三原氏、同じく大蔵氏の一族という高崎氏がいた。天正一五年(一五八七)当町域の諸村は豊臣氏の蔵入地となったが、文禄四年(一五九五)朝鮮出兵の功で小早川秀俊に与えられた御井・御原二郡内の加増分に町域の八ヵ村も含まれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大刀洗町」の意味・わかりやすい解説

大刀洗〔町〕
たちあらい

福岡県南部,筑後川中流右岸にある町。 1955年大堰 (おおぜき) ,本郷 (ほんごう) ,大刀洗の3村が合体して町制。筑前と筑後の境界に位置し,南北朝時代の古戦場にあたり,菊池武光が刀を洗ったところと伝えられる。 1920年に旧陸軍大刀洗飛行場が設けられたが,第2次世界大戦後に農地化された。米作コムギオオムギ,野菜の栽培を行うほか,養豚,養鶏も増加し,食肉加工場もある。史跡下高橋官衙遺跡や大刀洗公園,隠れキリシタン今村天主堂古刹の西光寺などがある。面積 22.84km2。人口 1万5521(2020)。

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