大判座(読み)おおばんざ

精選版 日本国語大辞典 「大判座」の意味・読み・例文・類語

おおばん‐ざ おほバン‥【大判座】

〘名〙 江戸時代大判製造に当たった後藤四郎兵衛家の役所をいう。大判の製造ならびに表面墨書の書直しなどが主体であったが、他に、非常用の大分銅金銀)や、公認天秤用分銅の製作も行なった。江戸初期は京都だけであったが、のちに江戸にも置かれた。

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デジタル大辞泉 「大判座」の意味・読み・例文・類語

おおばん‐ざ〔おほバン‐〕【大判座】

江戸時代、幕府の命を受け、大判鋳造をつかさどった役所。京都の後藤徳乗がその特権を与えられ、後藤家が代々世襲

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改訂新版 世界大百科事典 「大判座」の意味・わかりやすい解説

大判座 (おおばんざ)

江戸時代の大判鋳造所。江戸幕府の金貨幣は,御金改役後藤庄三郎支配の金座で造られたが,大判だけは当初から京都の後藤四郎兵衛を中心とする大判座で造られていた。四郎兵衛は,彫金をもって足利義政に仕えた後藤祐乗を祖としているが,豊臣秀吉のとき天正大判を造ったのは5代目後藤徳乗であり,あるいは4代目光乗の弟吉高であった。8代目即乗の1625年(寛永2)からは,徳川氏によって江戸詰を命ぜられて,江戸と京都の2ヵ所となったが,庄三郎光次に始まる金座後藤に対しては,四郎兵衛家は京都在住のときからの師家筋にあたっていた。しかし近世の武鑑類を見ると,この関係はまるで逆であって,あたかも金座後藤の付属であったかの観がある。これは,四郎兵衛家が,徳川氏のもとで,金座後藤の勢威に押されていたことを示すものである。また後藤四郎兵衛と一族は,金座・銀座のごとき勘定奉行の支配には属さず,ふだんは,彫物の関係で腰物奉行に属していた。大判座という名称も正規のものではなく,世間では〈彫物後藤〉でとおっていた。慶長・元禄・享保・天保・万延大判のほか,幕府数次の非常用金銀大分銅(ふんどう)の製作にもあずかっているが,また金銀掛けの天秤に用いる分銅の製作販売と,その分銅改めを行う特権をも認められていた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大判座」の解説

大判座
おおばんざ

判金座とも。江戸時代の大判鋳造機関。金座後藤と区別するためのよび名で正式の名称ではない。1588年(天正16)に豊臣秀吉が彫金師後藤四郎兵衛家の徳乗(とくじょう)に大判製作を命じたのをはじめとして,江戸時代を通じてその一族が大判を鋳造した。後藤四郎兵衛家は元来刀剣装具の彫金をもって徳川氏に仕えたので,腰物奉行の所管であり,大判鋳造のほか,幕府の非常用金銀分銅の製作や天秤用分銅の製作・販売を行い,全国の分銅改にもあたった。大判鋳造は当初京都の後藤家屋敷内で行われたが,明暦の江戸大火後は江戸で行われ,元禄大判以降,江戸での鋳造が定着した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大判座」の解説

大判座
おおばんざ

江戸時代,大判鋳造をつかさどった役所
江戸初期,京都の彫金師後藤四郎兵衛が大判の発行や手入れの特権を与えられ,以後後藤家が世襲(管掌)した。また金銀掛の分銅の鋳造や管理,刀剣金具の彫刻もつかさどった。17世紀中ごろから江戸・京都の2か所で行われた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大判座」の意味・わかりやすい解説

大判座
おおばんざ

江戸時代,大判金の鋳造を司った役所。慶長年間 (1596~1615) に設置され,鋳造,手入れ,墨判書直しなど一切の特権は,京都の金工後藤四郎兵衛徳乗家にあった。廉乗の代に京都から江戸に移り,京都では補修のみにあたった。明治維新後廃止。

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