大友親世(読み)おおとも・ちかよ

朝日日本歴史人物事典 「大友親世」の解説

大友親世

没年:応永25.2.25(1418.4.1)
生年:生年不詳
南北朝室町時代武将。氏時の次男。通称孫太郎。左馬助,式部丞,修理権大夫。応安4/建徳2(1371)年11月以前に兄氏継から家督と豊後守護職を相続。以後,45年にわたり家督の地位にあり,大友中興の祖といわれる。豊後,日向,肥後,筑後守護職を兼帯。永徳3/弘和3(1383)年当時でその所領所職は86カ所にものぼった。九州探題今川了俊と共に南朝の征西将軍宮方と戦うが,応永2(1395)年,義父大内義弘と謀って了俊を失脚させる。同6年,親世に反して豊前国を支配した従弟氏鑑を討ったとの記述もみえるが定かではない。同8年,家督は氏継の子親著に譲られている。<参考文献>『増補訂正/編年大友史料』8,9巻

(福川一徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大友親世」の解説

大友親世 おおとも-ちかよ

?-1418 南北朝-室町時代の武将。
大友氏時の次男。豊後(ぶんご)守護。応永2年義父大内義弘と策謀して,九州探題今川貞世を解任に追いこみ,探題代行となる。渋川満頼が探題となると九州奉行職に任じられ,反抗する少弐(しょうに)氏,菊池氏を攻略した。応永25年2月25日死去。幼名は千代松丸。号は祖高。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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