大口屋治兵衛(読み)おおぐちやじへえ

改訂新版 世界大百科事典 「大口屋治兵衛」の意味・わかりやすい解説

大口屋治兵衛 (おおぐちやじへえ)

近世中期の江戸札差商人。生没年不詳。〈十八大通(だいつう)〉の筆頭とされた豪商暁雨または暁翁と号す。出自は伊勢の大口(現,松阪市)で,1724年(享保9)札差株仲間の起立に加わり,浅草蔵前の天王町組に属して巨富を築いた。暁雨は当時江戸っ子の象徴とされた歌舞伎花川戸助六にみずからを擬し,遊里で豪華な大尽ぶりをみせたり,男伊達を気取って,所持の名刀濡衣で乞食坊主を試斬したなどの伝聞がある。2代目市川団十郎と親交があり,彼が助六物を演ずるときは治兵衛の所作をまね,治兵衛も芝居の下桟敷を半分買い占めるなど,当時の歌舞伎や役者の良い援助者でもあった。また髪形衣装,ことばづかいや行動に,ことさら奇矯で派手な蔵前風と呼ばれる風俗をはやらせるなど,江戸の文化史,風俗史にも名高い。67年(明和4)札差の株を伊勢屋太兵衛に売却して札差を廃業,のちの動静についてはまったく不明である。
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朝日日本歴史人物事典 「大口屋治兵衛」の解説

大口屋治兵衛

生年:生没年不詳
江戸中期の浅草蔵前の札差。明和・安永年間(1764~81)に江戸十八大通の代表といわれた。暁雨のち暁翁と号す。「大口屋治兵衛」は享保9(1724)年の株仲間成立時より続いた世襲屋号・名前で,暁雨は2代もしくは3代目に当たると思われるが不詳。2代目市川団十郎と親しく,自らも今助六と称して歌舞伎役者の風俗をまね,またパトロンとしても援助をした。日常においても歌舞伎の荒事を思わせる激しい行為で町内のもめ事を押さえ,大金を投じて収めるなどの話題を残している。宝暦3(1753)年俳号を大通の弟子伊勢屋宗四郎全史に譲り,自分は暁翁とした。明和4(1767)年札差を廃業,以後不詳である。田沼意次時代の江戸町人文化を代表する人物である。<参考文献>北原進『江戸の札差』

(北原進)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大口屋治兵衛」の解説

大口屋治兵衛 おおぐちや-じへえ

?-? 江戸時代中期の豪商。
享保(きょうほう)9年(1724)に認可された札差株仲間の起立人のひとりで,江戸の通人十八大通の筆頭。歌舞伎の助六を気どって遊里で豪遊,その衣装,髪形は蔵前風とよばれ流行した。明和4年札差株を売却,以後の動静は不明。歌舞伎「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」の主人公のモデル。江戸出身。号は暁雨(ぎょうう),暁翁。

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