大和五条の変(読み)やまとごじょうのへん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和五条の変」の意味・わかりやすい解説

大和五条の変
やまとごじょうのへん

天誅組の変ともいう。幕末の討幕軍事行動。文久3 (1863) 年8月 13日孝明天皇の大和行幸詔勅契機とし,元侍従中山忠光ら尊王攘夷派の急進的公家,浪士ら五百三十余人が五条代官所を襲撃朝廷直轄領とする宣言を行なったが,政変 (→文久三年八月十八日の政変 ) により追討を受け瓦解。忠光は長門に脱出後,暗殺された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大和五条の変」の解説

大和五条の変
やまとごじょうのへん

天誅組の変

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