大山古墳(読み)ダイセンコフン

デジタル大辞泉 「大山古墳」の意味・読み・例文・類語

だいせん‐こふん【大山古墳/大仙古墳】

大阪府堺市大仙町だいせんちょうにある、仁徳天皇陵と伝える5世紀古墳。日本最大級の前方後円墳で、全長486メートル、高さ34メートル。三重ほりに囲まれる。令和元年(2019)「百舌鳥もず古市古墳群-古代日本の墳墓群-」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。百舌鳥耳原中陵もずのみみはらのなかのみささぎ。大山陵古墳。仁徳陵古墳仁徳天皇陵古墳。→百舌鳥古墳群

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精選版 日本国語大辞典 「大山古墳」の意味・読み・例文・類語

だいせん‐こふん【大山古墳】

大阪府堺市大仙町にある前方後円墳。わが国最大の墳丘をもつ。仁徳天皇陵に指定されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大山古墳」の意味・わかりやすい解説

大山古墳
だいせんこふん

大阪府堺(さかい)市大仙(だいせん)町にある古墳時代中期の超大型の前方後円墳。百舌鳥(もず)古墳群の盟主的存在。墳丘の長さでは第1位で、仁徳(にんとく)天皇陵比定されている。現状では三重の周濠(しゅうごう)をもつが、1892年(明治25)ころから約10年間、明治政府が濠の大規模な工事を行ったため、本来の形は明らかでなくなっており、少なくとも三重濠が周濠になったのは明治時代のことである。

 大山古墳の墳丘は、長さ486メートル、後円部の径245メートル、高さ34メートル、前方部端の幅300メートル、高さ34メートルあって、後円部径の2倍がほぼ墳丘の長さになるという設計。前方後円墳としては長細く、したがって墳丘の総容量では誉田山(こんだやま)古墳(応神(おうじん)天皇陵に比定)よりやや小さく約141万立方メートルである。墳丘全体に乱れた部分と整った部分とがあり、整った部分は明治時代の修築を示すとする説がある。したがって、墳丘を現地で検討できない現時点で本来の形状を復原することはむずかしいが、両くびれ部に造り出しを備え、ほぼ3段に築かれており、斜面には葺石(ふきいし)を用い、円筒・人物・馬・鳥などの形象埴輪(はにわ)や須恵器(すえき)が出土しており、円筒埴輪は濠の堤にも立てられている。1872年(明治5)前方部で長持(ながもち)形石棺を納めた竪穴(たてあな)式石室が発掘され、ガラスの皿や碗(わん)、金めっきをした短甲(たんこう)や眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、鉄刀などが出土した。現在ボストン美術館にある銅鏡と刀の環頭(かんとう)(環状の飾りをつけた柄頭(つかがしら))もこのときの出土品であるとする伝えがある。なお後円部にも江戸時代に長持形石棺があったとする、当時の記録がある。前方部の石室が大山古墳造営時またはそれに近いころのものか、それとも約半世紀を経てのものかによって、大山古墳の年代推定は変わるけれども、前方部の石室は5世紀末~6世紀初頭であろう。なお陪塚(ばいづか)の塚廻(つかまわり)古墳から、巨大な勾玉(まがたま)、銅鏡、鉄製刀剣などが出土している。

[森 浩一]

〔世界遺産の登録〕大山古墳を含む百舌鳥古墳群と誉田山古墳を含む古市(ふるいち)古墳群の古墳のうち45件49基が、2019年(令和1)ユネスコ国連教育科学文化機関)により「百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

[編集部 2019年7月19日]

『宮内庁書陵部陵墓課編『陵墓関係論文集』(1980・学生社)』『森浩一著『巨大古墳の世紀』(岩波新書)』


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大山古墳」の解説

大山古墳
だいせんこふん

大阪府堺市堺区大仙町の大阪湾を望む中位段丘にある古墳中期の大型前方後円墳。仁徳陵古墳とされ,大仙陵古墳ともいう。百舌鳥(もず)古墳群の盟主墳。墳長486m,後円部径249m,前方部幅305mあり,前方部を南西にむける。後円部の径に対して,長い前方部が特徴。後円部4段,前方部3段の築成で,葺石(ふきいし)と埴輪をもち,くびれ部の両側に造出しを設ける。周濠は三重だが,三重目は前方部の南西隅にL字形に遺存していたものを,1899~1902年(明治32~35)に全周させたもので,築造当初の状態かどうか不明。周濠を含めた総長は約900mにも達し,日本一の規模をもつ。埋葬主体は2基知られる。1基は後円部にあり,長さ3.2mの長持形石棺があるようである。別に1872年に堺県令が発掘した前方部にも長持形石棺を納めた竪穴式石室があり,棺外の東側に鍍金された甲冑(かっちゅう)とガラス製の壺と皿,大刀金具,北東側には鉄刀20が納められていた。副葬品はすべて埋め戻されたと伝えるが,ボストン美術館に本墳出土の銅鏡1面と大刀の環頭(かんとう)1個が所蔵される。墳丘の周辺に約15基の陪塚(ばいちょう)を従えた巨大古墳。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大山古墳」の解説

大山古墳
だいせんこふん

大阪府堺市大仙町にある仁徳天皇の墳墓といわれる巨大古墳
大仙陵古墳ともいう。古墳文化全盛期の前方後円墳。大きさは世界最大で,墳丘の総長475m,後円部径245m,前方部幅300m,後円部高34.6m,周囲に3重の濠がある。葺石や各種の埴輪が出土。その土盛りのため1日1000人の人夫が4年間を要したと推定されている。誉田御廟山 (こんだごびようやま) 古墳(伝応神天皇陵)とともに,5世紀前後のもので,氏姓国家全盛時代の皇室の経済力と権力の強大さを思わせる。

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国指定史跡ガイド 「大山古墳」の解説

だいせんこふん【大山古墳】


⇒大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)

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世界大百科事典(旧版)内の大山古墳の言及

【仁徳陵】より

…大阪府堺市大仙町に所在する大型前方後円墳。全長486m,後円部径249m,後円部高35m,前方部幅305m,前方部高34mを測る。外周に三重の濠がめぐり,葺石(ふきいし)をそなえ,墳丘および中堤に埴輪を樹立する。梅原末治の算出によれば,埴輪の総数は2万本を超すという。1872年に前方部の一部が崩れて,長持形石棺を竪穴式石室に納めた埋葬施設が露出し,副葬品が取り出された。この崩壊は風水害によるというが,盗掘説もある。…

※「大山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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