大川博(読み)おおかわ ひろし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大川博」の解説

大川博 おおかわ-ひろし

1896-1971 昭和時代実業家
明治29年12月30日生まれ。鉄道省事務官から,五島慶太にスカウトされ,昭和17年東京急行電鉄にはいる。26年東映の社長となり,時代劇映画黄金時代をきずいた。日本教育テレビ(現テレビ朝日)社長。プロ野球東映フライヤーズを経営した。昭和46年8月17日死去。74歳。新潟県出身。中央大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大川博の言及

【東映[株]】より

…1951年,東横映画,大泉映画,東京映画配給の3社が合併して設立。設立当初は3社の負債をかかえて不振であったが,初代社長大川博(1896‐1971)は,徹底した予算主義による製作方式を導入,片岡千恵蔵市川右太衛門の二大剣劇スターを軸にした時代劇映画で経営を軌道にのせた。不調であった現代劇も,1953年には反戦映画《ひめゆりの塔》(今井正監督)が大ヒットし,54年には2本立て興行を実施して,娯楽時代劇と現代劇,あるいは大作時代劇を組み合わせるなど,観客層の増大に成功した。…

【日本映画】より

… 大映では,永田雅一(1906‐85)が戦前の第一映画,新興キネマでの経験に基づき,興行的価値を第一とする映画製作を行って,母もの映画路線と《羅生門》(1950),《雨月物語》(1952),《地獄門》(1953)などの文芸色豊かな王朝ものの大作で業績を安定させた。 戦後に生まれた東映では,大川博(1896‐1971)がかつての鉄道マン時代(鉄道省,東急)の経験をもとに,徹底した営利主義を貫いた。《きけわだつみの声》(1950),《ひめゆりの塔》(1953)の大ヒットによる業績安定のあと,大川博は1954年,〈東映娯楽版〉と名づけた中編時代劇を添えて2本立て興行を開始,時代劇路線を発展させて〈時代劇王国〉東映を築くとともに,映画市場の全収益の半分を東映がいただくと豪語して,60年に第二東映(のちにニュー東映と改称)を発足させるに至った。…

※「大川博」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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