大庭景義(読み)おおば・かげよし

朝日日本歴史人物事典 「大庭景義」の解説

大庭景義

没年承元4.4.9(1210.5.3)
生年:生年不詳
平安後期・鎌倉前期の武将平太,出羽権守,懐嶋権守。景能とも書く。鎌倉権五郎景正が開発した相模大庭御厨の代々御厨司職を世襲した子孫。父は景宗。保元の乱(1156)に弟景親と源義朝に従い,白河殿の戦いで源為朝の矢で負傷。治承4(1180)年,父景宗の墓があった相模大住郡豊田に拠る弟豊田次郎景俊と源頼朝の挙兵に応じ,降参した相模の平家方大将の弟景親を斬った。鎌倉の大蔵御所や 鶴岡八幡宮造営奉行も勤めた。奥州藤原氏の追討勅許がえられなかったとき,武家古老として故事を引いて,頼朝に決断をすすめた。一時,鎌倉を追放されたが,許されて頼朝の上洛供奉。相模の懐嶋で死んだ。

(湯山学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大庭景義」の解説

大庭景義 おおば-かげよし

?-1210 平安後期-鎌倉時代の武将。
大庭景忠(かげただ)の長男。保元(ほうげん)の乱で弟の大庭景親とともに源義朝にしたがう。治承(じしょう)4年挙兵の源頼朝に味方して有力な御家人となる。頼朝の新邸造営や鶴岡八幡宮移転の奉行をつとめた。承元(じょうげん)4年4月9日死去。相模(さがみ)(神奈川県)出身。通称は平太。名は景能ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大庭景義の言及

【大庭氏】より

…相模国大庭御厨(みくりや)を本領とする中世の武家。桓武平氏の流れをくむ鎌倉権五郎景政の開発・寄進によって成立した大庭御厨は,その子孫が代々現地支配にあたり,景政の孫景忠はとくに大庭を称し大庭氏の祖となる。景忠の子景義(景能)・景親は保元の乱でともに源義朝の軍に属し,このとき源為朝の矢をうけながらも命を長らえた景義の武勇談は,後日鎌倉でもてはやされた。平治の乱後景親は平家に臣従し,1180年(治承4)の源頼朝挙兵に際しては,いちはやく頼朝に参じた景義とたもとをわかって平家方の総大将となり,石橋山で頼朝軍を破った。…

※「大庭景義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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